いちねん。
それはとてもとても長い時間で だけど瞬きするあいだに過ぎてしまったような気もする おかしな時間のひとつのかたまりでした。
365日前のきのう、 わたしには この日記がなくて ことばがなくて ホームページがなくて 大好きなお洋服なんて持っていなくて 色鉛筆を持っていて サトくんがいた。
サトくんがいた。
365日前のきのう、 わたしは、たいせつなものをなくしていなかった。 たいせつなものをみつけていなかった。 人を、憎んでいなかった。 自分を、傷つけることをやめていなかった。 病院に通う勇気が出せなくて 南の島の、やわらかくて軽い風のことを、しらなかった。
どちらがしあわせだったのかどうか いまが昨日よりしんどいのか、あしたが明るいほうに向かっているのか わたしにはわからない。なんにもわからない。 ただ息を吸って吐いて、食べものを噛み砕いて眠りに落ちては目覚めるだけ。 それら一連のささやかな事柄をしつづけることがどれだけ大切でむずかしいのか たぶんわたしはあまりよく知らなかったし、今だって きちんと知っているとは言いがたいと思う。
立ち止まって考える。
先へ進むのがこわい、あとへ戻ることはできない、 この体から逃げることはできない、サトくんが行ってしまっても わたしは、生きていけなくちゃいけない、それだけが指針だった そんなときも幾らかあって
たぶん
新しい365日を迎えるとしてもわたしは取り立てて新しいものにはならず 降ってくるらしい雪を窓辺で待ち続けるちいさな子どもみたいであるだろう 25歳なんて途方もない年齢になってしまった自分に困り果てていて もっと小さくなりたいと、ばかばかしい望みを痛切に心のどこかに埋め込んでいるだろう。
たぶん。
きょうのひは とくべつな一日ではなく ありふれた365分の1の貴い時間のなかのひとつだろう。 今日でもなくて明日でもない、今年と去年の境目があるとしたら、わたしは その中で息をひそめていたかった。午前0時の前にある真夜中の13時あたりで。 わたしは、そんなわたしを捨てられない。 なにもかも一新することはできなくて 臆病さをかかえたまんま、おそるおそる あしたに向かって時間に背中を押されてあるいていく。 そっちが明るいのかどうか、わたしにはわからない。 病気と手を繋いで年を越えることはしたくなかったけど でも、わたしは、病気と手を繋いで歩いていく。
この日記を書くのもこれで最後かしれない、 年の終わりであって、年のはじめである今日の一日 時間を超えて生きのびていく わたし というひとつの個。 登録する日付を迷いながら、いちねんのはじめを ひっそりとはじめようとしている、わたし。 それがわたし。 そう言い聞かせながら次のひとあしを 進め なければならない。
さあ
ほら
次にやってくる365日が あなたにとって、しあわせな時間でありますように
おめでとう
おめでとう
まなほ
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