『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年12月06日(金) 僕は鳥になりたい

くもりぞらの下、ずるずる家を出て行って、病院をハシゴした
こうなったのは予定のない日は毎日眠って暮らしていたからで
予定のない日というのはアルバイトのない日ということで
土曜日と日曜日をあわせて週に五日くらいある「予定のない日」

家の敷地を出なかった日
家から出なかった日
部屋を出なかった日
おふとんから出なかった日

そういうふうな毎日を暮らしていたら
ことばはぷかぷかうまれて、ぜんぶはじけて消えてしまった
おんなじように
わたしの過ごしたいくらかの「きのう」も
はじけて消えてしまった

日記にのこらないほんとうの「きのう」
眠りのなかに答えはあるのかもしれない
眠りながらわたしは何かをこわがっているそうだ
言われてみれば、朝、目をさましてわたしは頭を抱えていた気がする
死にたいとか消えたいとかもうだめだとか
ぼろぼろ言っているらしくて、でもそんな記憶はもうとてもとても遠くて
カーテンの向こう側、ぼおっとして頼りない
話に聞いたひとさまの記憶のようだ
昔に聞かされたじぶんの幼児のころのようだ

 こわがってた?

 わたしがたずねる

 うん。

 だれかがこたえる

 すごくこわがってた?

 わたしがたずねる

 このあいだよりはひどくなかった。

 だれかがこたえる

 そっか、

 わたしがうなずく

 うん。

 だれかがうなずく

 そうなんだ、

 わたしが納得する

おかしな会話かも知れない、けれど
それがわたしの暮らしている一日のなかの
ひとつのほんとう、らしかった

……そういう話はお医者にはつたわっていない

雲が、ばらけて、青空がみえないからふとんにくるまってこわがっていた
どうしてほかのひとは平気で外を歩いたりできるんだろうって不思議に思ってた
かなしくて、つらいらしい、でも、なみだは出なかった
そういうふうにできているみたいだった


精神科の薬局に行ったかえりに自転車を置いてあるもうひとつの病院の前まで
歩く。

ぽと ぽと ぽと

ぽってりとした茶色の革の靴は去年の秋にさがしあるいて見つけて
サイズがなくて靴屋さんのお姉さんに何軒も電話をかけていただいて
そうして見つけた、わたしのものになった、一足
こればかりを履いてわたしはいつも歩く
コンクリ剥き出しの地下書庫から、屋久島の原生林までをあるいた靴
あのときはとっても元気だったのに
どうして今はこんなにふらついているんだろう、わからないけど
地下道を渡っていこうとする車の列にまぎれこんで消えたくなった
わたしはいらないひとだから
わたしはいらないものだから

そういうまちがった場所にときどき迷い込みそうになるので
今日の日もたぶん、よくわからないカーテンの中にはんぶん隠れて
はじけてぽかりぽかり消えていくのかもしれない

病院と病院をつなぐ道の途中には、大手の新古書店があって
黄色と紺色の看板がよく目立つから
わたしは地下道をわたりおえたあと、たまに立ち止まって考える
それからまた歩き出して、まっすぐ歩いていったり
お店の入り口に向かって道をふみはずしたりする

今日は、道をふみはずした方の日

「ふみはずす」

大きくてあかるい店内の中には立ち読みのお客さんが中高生からオトナから
いっぱい立っていて場所によってはぎゅうぎゅうになっていて
店員さんの声はいっそおびえるくらいにあかるくて、こわい
そのなかをわたしの靴があるいていく

ぽと ぽと ぽと

まあるい靴先、ステッチの入ったぽってりしたフォルム

マンガ文庫の安売りコーナーの前で
靴がたちどまる
このコーナーはとてもとても小さくて
端から端まで抱きかかえられるくらいの窮屈さかげんが
安心できて、わたしは唯一ここでなら居てもいいような気がする
それから置いてあるお話の内容の古臭さやシリアスさや
つまり、とてもたくさんの人に受けそうにない、売れそうにないおはなしも
わたしの気持ちを安心させる
えてして、わたしはそういうおはなしのほうが好きだから
それは日陰の吹き溜まりに吹き寄せられたビー玉みたいなもの

靴が止まった場所で
まっすぐに左の側を向くと
そこには

「僕は鳥になりたい」

そう書いてあった

それだからわたしはそれを買った。


僕は鳥になりたい




まなほ


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