| 2002年11月20日(水) |
白っぽくある夢のなか |
おくすりって、なんだろう
最近、ときどき、思います 夏には疑問ももたずに飲んでいたおくすり、 春には必死に飲んでいたおくすり。
少しずつ増えたり減ったりしながら 種類が変わって、最近は飲む粒の数はいつもたいてい同じです 一日に、16粒と半分、 半分は、睡眠薬のぶん
朝と夜に ごはんのあとにぷちんぷちんと並べる いくつもの白い錠剤をみて ふしぎな気持ちになります
秋、 いったいどうしてわたしはあなたを飲まなくっちゃならないのだろう。
わたしの場合、 精神科系列のおくすりが効いているという実感が実はほとんどありません 例外的に「デパス」が、不安でがたがたふるえているときに飲むと じばらく経って少し楽になるかしら、程度で いちばん最初に処方されていた、ルボックス、とか、パキシル、とかいう 流行のSSRI、選択的セロトニン再取り込み阻害剤、 一日の最大処方量を飲んだ時期もいくらかあったのだけれど あんまり変わりませんでした
いちばん最初に この場所にいるのが苦しい、と感じたのは もう小学生のとき。 わたしはしんどいと笑うことができなかった。 叱られると、泣くか、それとも能面みたいな顔になって ぐさぐさと感情を殺して固まっていることしかできなかった。 それだから余計にしかられた、 可愛げのない子どもだと言って。
自分のなかみを引き裂かれているとかんじたのが、もう5年か6年の前。 過呼吸みたいな発作を起こしたのもそのころ、 盛大に自分を傷つけはじめたのもそのころ。 死ぬとか生きるとかそういう話じゃなくて、ただ、 傷つけて当然なのだと思っていた この手足。
わたしは一応、心理学を勉強していたけど だからと言って、身の回りにそういった方面に繊細なひとが多いわけでもない、 病院へ行けとかカウンセラーにかかれとか示唆するひとがいるわけでもない、 そういうことを考え始めるのには18歳の時間は短すぎるのだと思う。 むしろ自分がいちばん病んでいたかったひとのほうが もしかしたら、多いくらいの周囲だった
そうして、ひとりで黙ってこじらせていた こじらせた、その結果なのかなと よくわからない診察が終わるたびにふと思う
自分を醜くおもう気持ちとか、 よくわからない恐怖とか、 燃え尽きてしまったみたいな無力感とか 不安、眠気も遠ざける緊張、離人感。
そういったことは、診察の対象にあまりできなくて 手を焼かれているとかんじるとき 欝、という最初は軽んじられていたような項目が だんだんと浮かび上がってきて、クローズアップされてきて それへの対処がメインに据えられてきたみたいな 病院の診察。通いはじめて、8ヶ月と半分の 病院。
胸がいたい。
7つだったあの薄ぐもりの冬の日、 ぼろぼろだった体育館の裏を運動場にむかって走っていこうとした 半袖のちっちゃな体操服を着てたあの日 その日から付き合ってるこの胸の痛みは なんでも、肋間神経痛、というものらしくて 所見としては、どこにも異常はないらしい。
あたらしいおくすりの、まるっこい三角形のフォルム、 まっしろな表面にはピンク色のアルファベットと数字が書いてある それを眺めながらすこしだけ考えてました よく考えます
すっぱりと これを飲むのをやめたなら 飲むのをやめたなら。
もし、それを実行したのなら、 わたしはどこまで「ふつう」になって どこまで「病気」になるんだろう。
お座布団をひきずって、ふらふらと歩き回りながら 自分の座っていい場所をさがしているこのバカな「女の子」は じぶんを維持するために費やされているお金の額や時間や労力や それから注ぎ込まれているお薬の分量を思って、
じぶんを消したく思うのです
ここにあるこの気持ちがぜんぶあなたのところに行ったらよかった
誰より自分を好きなのに 何より自分がきらいだから みにくい自分をきらいだから やさしくない自分を 憎んでるから
消えてしまったあなたの影の中にお座布団を敷いて そらのむこうのほうを見て
まなほ
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