ひとのことばに目をむけるということ。
最近はそれが、ちっとも、できていません。
描くことが苦痛になるとき 書くことが苦痛になるとき 読むことが苦痛になるとき
いろいろあります。
実のところ本音を言えばまっさらな画用紙に向かうのはとても苦痛です まっさらなノートに向かうときの自分に満ちるおかしな気合がきらいで それがために続かなくなった詩作ノート、などが パソコンの下に積まれています
しろい空白というものが苦手なのかも知れません。
わたしの毎日は、おおむね、空白です。 なんにもありません。
通院と、 週に二日のバイトのほかは決まった予定もなく その残りの時間には、眠ることと食べることが入っているくらいで ほかにはなにもなく
ほんとうに、なんにもない。
マイエンピツというこの日記の機能、 せっせと読める時期とちっとも読めない時期があって 最近はずっかり読めない時期に突入したまま 書くことからも離れつつあったりする自分のこころもち。 それに、抗おうとして書いています。 これ以上「くうはく」になるのを食い止めるためなんだろうか。
翌日に日記を読むと誰が書いたのかよくわからないことがよくあります。 自動書記みたい。 手が勝手に言葉を綴って登録をしているのだろうと思う。 誰が書いたのかわからないと恐怖と一緒になって混乱がやってきて きのうの自分を思い出そうとするけど 思い出せません。
それは、ほんとうに、わたしのことばなんだろうか。
よくわかりません。
正体不明のこの不安なものを直視することは わたしには、なんだか、とても重たくて、 それだからたぶん、逃げています。 動悸がだんだんひどくなって、それでもキーボードに向かうのは どうしてなんだろう。
くうはくを埋めるようにものを食べて飲んでいます おなかはすぐに膨れ上がるけど それでもくうはくはちっとも満たされたと思えずに 次のものに手を出したがる、次のことば、次のことば、 たくさんの無為な摂取と無駄なたべもの。
くうはくに誘導されるみたいな気分 ふくれあがる自分のからだという幻想 醜くて、醜くて、 それをまっすぐにみたくないとわたしは思うのに
明日がくるのが嫌なのに 今日があしたにつづくのが こわいのに。
年ばかり取りました
そう言って笑う自分のうわっつらは、わたしのなかの余所者で 表情をつくることがすっかり下手になっていることに気がつきました。 こわいこわいと震えているときがもしかしたらいちばん わたしは「生きている」のかも知れない。
今日のお薬を飲み忘れていることを思い出したから もう、ここで、筆を置きます。
できることなら
おやすみなさい
まなほ
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