『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年11月09日(土) ひとり。

一年ぶりに、渋谷に行った。
生気をすいとられる街。
Coccoのためでなかったらこんなところには行かない、と
はっきり明言できてしまう、街。

先日出版された絵本の原画展があるという
パルコまで人に突き飛ばされながら
はばまれながら
行きました、
一年ぶりの縦横無尽なひとごみ。

濃く、ぶあつく、塗り重ねられたクレヨンの絵は
そうしてたぶんCocco本人が書いていったと思う
いたずらがきのいくつものあしあとが
ふわりとこころに振りおちて
羽毛のような手ざわりだった、その、イメージ。
この何とも言えない十幾枚かのカンヴァスのために
どれだけのクレヨンがぼろぼろにされていったんだろう。

35本の色鉛筆を傍らに漠然と過ごしてきたわたしの15年がその上にだぶり、
おそらくもう、捨てられないだろうと思ったのです。
踊りたがるこの体や
描きたがるこの手や
そうして

歌いたがるその喉も、唇も、すべて。

あらゆる創りごとは
すべてどこか、そのひとの血で書くんだと
あらかじめそうしなければいられないように
血が叫んで求めているのだと
わたしは、感じる。

ここ数年のあいだ、渋谷と言うところに出かけていって
まともに自分のおうちに帰れたことは、なかった。
思えば、、、
パニックと不安で相棒さんに連れ出される
体が動かなくなって、手をひかれて
過呼吸を起こして担ぎ去られる
今日は離人感がひどく来て、
だけどわたしは、うちにかえりました。
無理にでも良かった、ただもう

退路を断って
ほかの選択肢をすべて
切り捨てて
切り捨てられて

頑固でバカなわたしは
いちどかけたSOSの電話を拒否されたとき
もう、なにもかもがおわりだと思って
貫き通さずにはいられなかった

頼るものなんてなにもないんだ
わたしは一人で生きていくのが当然なんだ
あたたかくくるんでくれるものなんて、それは
ただの空想上のできごとでしか
ないんだ、と。

バカなわたしは、思い込みました。

それは見捨てられたと同意義なのかもしれない、たぶんそうなんだろう
そう考えながら。
なみだを仕舞いこんだ風船は目には見えず
ふくらんでいく触感も、その持ち主にはわからない。

うつらうつらしながら
自宅最寄り駅にたどりついて、
公衆電話から一件の電話をかけて、
涙がぶわりと出てきたときに、やっと気がつくのです。

じぶんが、無茶をしていたことを。
じぶんが、とてもかなしくてしかたなかったことを。
じぶんが、とても、とても
さびしくて、ひとりになりたくなかった、ことを。


だけど今はわたしはひとりです。

知ってる誰も
わたしからはとても遠くて
ひだまりの中は太陽が雲で隠されたような、薄日。
冬の季節の薄日はさむくてこころぼそくて
何もかんじないこころで見上げても、そこは
ひどく、素気なくわたしを世界から阻害する
ただたた、
見慣れないだけの場所で

味方なんて誰一人ほんとうはいないんだとずうっと思っていました。
こうやって、がくりと誰もがこころの近くから去っていって
愕然とするときが、あんまりに怖かったから。
怖かったから。

くちびるをやぶれるくらいに噛み締めて
陽気にはしゃいで、あるいは微笑んで
ごまかし続けてきたことのつけを今わたしは
払わなければならなくて七転八倒しているのかもしれないのに
そのうえに重ねて、また積み上げられていく
あたらしい嘘。

できたての嘘はなめらかなくせにひどくこころにめりこんで

わたしはまた
ひとりきりになってしまったと思い込むのでした。


あなたのところにかえれるのはいつだろう。
ひだまりに、戻れるのはいつなんだろう。

ひだまりのあたたかさをそれほどわたしは知らないけれど
知らないからこそ、憧れるんだろうけれど。

おひさまのかけらが落とされたように
ほのかにあたたかい日曜日の午後の洗濯物のひとやま。
そんなふうに
日なたのにおいのするものに憧れてやまなくて
ただ
穏やかでいられることを願っていて。


忘れてはならない
自分を守りたいのなら
忘れてはならない

「わたしはひとりです。」


その、ことばを。




まなほ


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