『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年11月07日(木) プルキニエ

誕生日。
ハッピーバースデイをもらった。

なんだか、年をおうごとに
寄せられるおめでとうの声が多くなります。
この年にして、それはきっと珍しいことなんだろうなと思い、
だってどこにも所属というものをしていない今のわたし、なんだもの。
けれども、増えていくお誕生日のお祝いの声。

ありがとう。

思わないところから寄せられたいくつかの声。

生きていける気がするときと
もうだめだと思うときと
ふたとおりのあいだでわたしはひっぱりっこ。

誕生日と言うのは、欝の気持ちが深まりやすい頃なのだと
聞いたことがあります。実感として、それはきっと(わたしには)
ほんとうなのだろうと思います。
なぜなら、「死」は、わたしの腕をつよく掴むから。
年月に容赦なく置き去りにされている自分のことを考えて
どんどん落下していく心を、自分の力では
この場所に留められないから。

秋がものすごい速さで過ぎていって
気の早い冬がきました。
わたしが生まれたのは冬の夕方。
もし晴れていたのなら、そこらじゅうがきっと
鴇色の夕焼けの色に染まっていただろうと思う、あたたかな色に。
そうしてつめたい夜との境目で
あおあおとしていただろうと思う、東の空の色は。

冬は好きです、けれども
同時にこわい季節です。
つめたさと不安は結びついて、朝から晩まで、
日の暮れた夕方からオクスリを握って眠りに落ちるそのときまで
わたしを切り刻もうとするから。

……落下する夕方、それはほんとうに
澄み切っていて、次になにが起こるのかちっともわからないくせに
とても静かに次の時間をつれてくる。
しずかで、うつくしくて
そうしてはてしなくかなしい。


一日で祝いきれなくなったくらいの人たちが
わたしにおめでとうをくれるようになったので
いつの間にか、11月はお誕生日月になりました。

母が用意して
兄があわ立てた生クリームを
わたしが飾ったケーキ。

ともだちからもらった台湾の烏龍茶を、ほのかに甘いお茶をいれて
がやがやと大騒ぎしながらバナナのはさまったケーキを食べました。

笑っていました。
小さい頃には手に入らなかった
いくらほしがってもとどかなかった
ケーキの前で
笑っていました。

ほんとうは、あのころにほしかったもの。
凍えたわたしに向けられることば。


「ケーキの味をやっと忘れたと思っていた、それなのに?」
(こっこ「がじゅまるの樹」)

……嘘に固まりながら、わたしは今、
生きています。
消え去りたいと思いながら、精一杯の、笑顔で。

サトくん。
あなたのいるところに行きたいと思っています。
笑いながら
つめたい風に吹きとばされて
あなたのいるところへ。

色鮮やかで
目の痛くなるような深い青色を待ちながら
わたしは生まれたのかも知れないと思って
夕方に振り落ちてくるプルキニエの青色、藍色の、そら。
その下で
わたしは何を握りしめて
生まれてきたんだろう、そう思えば
なんだか生と死の境目を今すぐにでも
飛び越えられそうな気持ちになる、矛盾している場所で。


けれども。


ことばをくれたひとへ、
ありがとう。

存在をおしえてくれたひとへ、
ありがとう。


まだ、わたしは、ここにいます。





まなほ


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