『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年10月22日(火) お薬を変える

なにをしても動けなかった日にむりやりピリオドを打って
動き出した今日の朝は恐怖と不安ではじまった。

わたしは、バイトにどうしても行かなければいけないと思ってる。
たぶん、それはわたしにとって
ひとつの「最後の砦」だから。
そこまで頑張らなくてもいいと
最近、家人は言うようになったのだけれど
かと言って
この頑張ることをやめてしまったらわたしはたぶん
何処にもいられないような気がして
肩身を削り落とすように小さくなっていくような気がして追い立てられるみたく
とにかく、それだけは止められないのだった。
働かないで収入もないようなやつは家から出て行けと、
そう罵倒されて追いつめられた記憶が
そうさせるのかもしれない。昔からずっとずっと
わたしをばっさりと切り裂いた父の言葉や行為と
そうやってわたしが切り裂かれてだらだら血を流していても止めない母と。

最後の最後に残れるのはじぶんだけで
だれもわたしのことを守ってはくれない
どこかでわたしは考えている。
誰もわたしを守ってはくれない。

だから誰にも頼ったらいけない。
ちいさいころにそう思ったの。
頼っていることを盾にとられて脅されるのなら
それなら、最初からひとりでやってやる、
そんなふうに。


けれど電車を降りたころには
なんでなのと泣きたくなりそうな怖さと不安がからだになみなみになっていて、
ホームに降りる人のほとんどがこわかった。
あんまりそれがひどいから
つながらないとわかっている携帯電話に電話をかけて自分に鞭打った。


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帰りがけ、
精神科に寄りました。
あたらしいお薬をもらいました。
請求してきた、というほうが近いような気がするけれど。

ここのところ数ヶ月同じ処方を続けていました
精神科。同じ処方を続けるということはまた同じ毎日を続けるということで
不安とか恐怖に追いまくられている毎日がまた続くということ。
それは、わたしにとってのひとつの絶望、です。
ああまたあのおんなじ日を続けなくちゃいけないんだ
そう思いながら診察費を払ってお薬をもらって
まっくらな帰り道をひとりでたどるのは、なんだかとても

こころぼそくて
さむくて。


はんぶん、
喉がつまったようで声がでなかったけれども
とりあえず終わりそうな診察を食い止めて、訴えられて、
訴えの内容よりも訴えている私の様子がどんどんおかしくなっていくのを見て
お医者はカルテを書き換えたみたいだったけど
とにかく
なんだか大量に書き込みがされているわたしのカルテには
またあたらしく、いっぱいの字が書かれていって、
そうしてやっと、おくすりがかわった。

ちょっとばかり強力な精神安定剤。
その副作用を抑えるために出されたのはパーキンソン病のための薬だった。
緊張と不安が強いときのために追加されたおなじみの抗不安薬。

お薬だけで治らないのはわかってる。
ほんとうのところ「病んでいる」のはこの頭の中じゃなく
わたしの、生きてきた証そのものらしいから。

でも
でもね

効いてくれるといいんだけれど。
すこしでもいいから
この
不意打ちの音にいろんな人にびくついて強張っていく怯えたからだが
やわらいでくれたら、わたしはそれで


もうすこし、
生きていかれるかもしれないでしょう?




まなほ


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