『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年09月21日(土) 「下ノ畑ニ居リマス」…HP開設のお知らせ

宮沢賢治という人がいました。
わたしはよく知らない人です。

わたしが生まれる前に生まれて、
生まれる前に、いなくなったから。

岩手県の中心あたりにある、花巻という場所に住んでいて
花とか空とか虫とか石とか地面とか、そんなものが大好きだったみたいなひとで
1896年の8月26日に生まれて、
学校の先生をしたり、土壌改良の研究をしたり、
法華経に入れ込んで東京に家出しては追い出されたり連れ戻されたり
からだがたいして丈夫でもないくせに、石を掘ったり野良仕事をしたり、
余った野菜をただでくばっては、農家の人にけむたがられたりして、
いくつもいくつも失敗をして
今から69年前の今日に、世界からいなくなりました。

じぶんの住んでいる場所に
イーハトーヴという名前をつけて
たくさんのお話と、詩と、
独白みたいなメモを遺して。


1933年の9月21日。


何のとくべつの親しみを持っていたわけでもない、この「人のいいお坊ちゃん」に
わたしが急激に近づいていったのは、自分で進んでそうしたというのではなくて
どちらかといえば必要に迫られてのことで
ただ、16のときに演劇部で脚色をやることになった一冊の台本が
かれの、「銀河鉄道の夜」を下敷きにしたものだったから
それだけの話です。

でも
少しずつ、みえないくらいに少しずつ
この童話作家の物語はわたしにしみとおって、まざりあって、
今では、切り離せなくなりました。
どこまでが「わたし」で、どこからが「宮沢賢治」なの?

……そんなこと、どうでもよくなって。(区別しようなんてどだい無理な話で)

好きな作家を飛び越えて、親しみ深くなってしまったこのひとを、わたしは
ミヤザワケンジ、そう呼んで
銀河鉄道というモチーフを頭のすみっこにもぐりこませて
紺色のそらに銀色の軌跡をみてみたり
刈り取りのおわった稲の切り株のならびを前にして
さっぱりとしてかなしいみたいなふしぎな色の気持ちを持ったりしながら
かなしいことってどんなことだろうと到底こたえの出ないことを思ったりしながら
てくてくひとりで歩いていました。

それは、ここのとこ10年ちかいくらいの年月。


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寝たり起きたりの生活になって、ある日思い立って
この日記をつくりました。
ひだまりらせん、別館。

別館と名付けたからには、本館がなくちゃならず、
だから、いろんなひとの手を借りて、
長いこと時間ばかりかけて
自分の両手のひらだけで、針と糸とで縫うみたいに
「ひだまりらせん」、という場所をつくりました。
あのひとが作ったイーハトーヴには及びもつかない狭さで
風も吹かない、雨のにおいも雪のつめたさもさわれないけど、
わたしのちっちゃな世界を、つくりました。

ホームページ。

まだ、本当はできあがっていなくて、ほつれも破れもたくさん残っているけれど。


2002年の9月21日。

あなたがこの世界からいなくなった日から、69年目の今日。

それはたぶんつまり、銀河ステーションのプラットフォウムからあなたが
鞄ひとつで、銀河のかなたに走っていく列車に乗って、新しい旅をはじめた日。

新しくうまれかわるのならこの日がいいと
わたしの中の誰かが言うから。
わたし、というものの中にいる、
幻影みたいな銀河鉄道ばかり追いかけている誰かが言うから
(もしかしたらその名前はカムパネルラと言うのかしれないけど)

物語は終わったときにはじまって
死んだときにまたあたらしく
始まるんだという
なんだかばくぜんとした信念という矛盾したことばにしたがって。


……ひだまりらせん、開設します。


もし、
このねじくれた場所を垣間見てやろうかという心もちの方がいましたら
どうぞ、下の住所まで、お訪ねください。


【 http://homepage3.nifty.com/spiral-garden/index.html 】


最初の訪問の際には、注意書きをお読みくださいますよう、
そうして、迷子にならないように
地図を手に入れてから、先へと進んでくださいますように。

掲示板がいくつかと、
メールフォームが用意してあります。
もしも感想などいただけたら、
また、さいわいです。




2002年、十五夜の晩に   まなほ


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