書くのが、くるしくなっていくのが、発作になるのが、減ったらいいと思って
じぶんのことばではないことば、だけど じぶんのみたいに思えたような じんわり、心にしみたような
すきなうたを、ぽつんと、載せます。
これが、どこかで、乾いたものに降りおちる、みずしずくに、なれるといい。
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思い出して きみがどんな暮らしをどこでしていても 僕ときみの命をつなぐ絆は生きていく 今をこえて
すべてを過去に変えて時代は過ぎていくけど
裸足のまま歩いてる きみを きみを 僕が知ってる 忘れないで、この部屋のドアは いつもあけてある
いろんな時がある 幸せな時、急ぎ足のとき 深い亀裂の底で 見えない空を見上げてる、そんな時も
やさしくなれなくても 自分を責めなくていい
裸足のまま歩いてる きみを きみを 僕が知ってる きみがきみを見捨てても 僕がきみを抱きしめる
言葉はむなしくなる、きみのこと思い出せば
裸足のまま歩いてる きみを きみを 僕が知ってる きみがきみを見捨てても 僕がきみを抱きしめるから
裸足のまま歩いてる きみを きみを 僕が知ってる 忘れないで、この部屋のドアは いつもあけてある
谷山浩子「しまうま」より、「裸足のきみを僕が知ってる」 (1996.11)
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手にとったときの、感覚と、 そこに並んだタイトルと、 それから、じぶんの誕生日に発売されたという理由で買ったCDに 入っていた、うたです。
19歳になって、二週間かそこらの、冬で 浪人生のわたしで
谷山浩子というひとは、 へんなふうに わたしの生活に落っこちてくるひとで
音楽室に忘れられて半年たって、捨てられるところだったCDを 高校生のときにもらって、それが、このひとのでした。 「ボクハ・キミガ・スキ」 タイトルテーマでは、好きという気持ちはただのワガママ、とうたっていました。 恋人のいるキミを好きになっちゃったボクのうた。 何もないふりしてキミと話してる、言葉と笑顔で嘘を重ねてる ・・・・・(だけど・・・「ボクハキミガスキ」)
すごくいいうたとか かわいいうたとか ぜんぜんつまんないうたとか ちょっとこわいうたとか 泣けてきちゃううたとか いろんなうたを 谷山浩子さんはつくって、うたいます。
「裸足のきみを僕が知ってる」は そんな谷山浩子さんのうたのなかの、わたしがばったり出会ったひとつです。
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それから。
ホームページ できそうです。
リンク先に ひとつ、ひとつ、 ごあいさつをしているところです。
まだ、ぜんぜん、きちんとしたお相手ができそうにないけど それを思って、なんだか急にこわくなったりしてるけど
ホームページ、 そろそろと うごきだしました。
まなほ
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