病院に、やっと 行きました。
十日ぶりくらいに外に出ました。 ひさしぶりに見た庭の外のせかいは、 きれいだった。 夏の日ざしで緑が透きとおって でも、立秋翌日にふさわしいような風が、ふいてた。 さわさわ、さわさわ、なみうつせかいはきれいだとおもった。すごく、すごく、せかいは、 きれいだとおもった。
でもわたしはガタガタふるえていた。 情けないけど、外に出ることを考えて実行しようとしただけで 準備をする手がガタガタふるえだして、喉が詰まって、そのくせカラカラで 落ち着こうと思ってお水を飲んだら気管に吸い込みそうになって咳き込んだりする。 自分でじぶんに裏切られているみたいで、かなしかった。 どこがいけないのかわからない。 だけど、わたしは、わたしに、反逆されているみたいな気がする。 予想をことごとく裏切ってくれるココロの体調、は 闇の中にあるみたい。
自分のココロの面倒がじぶんでみられないんなら、せめて カラダの面倒くらいは、みられるようになりたいとおもった。 実際のところココロはカラダを投げ出しつつあって ときどきカラダのほうまでもに抗議される羽目に、なるんだけれども……… たとえばただ気力が出なくてお風呂に入らずに眠ってしまった翌朝、とか 動揺して混乱して、スキンケアが気がつかないうちに荒々しかった日の、翌日とか。
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精神科を信じられないみたいだと、この日記に書きました。 心配のことばをいただいたりして、うれしかった。 そうして考えました。 やっぱり、そのとおりでした。 しんじる、というとすこし違うかもしれないけど、頼り方が前とは違ってしまった。 お医者さんの診察とか処方箋に、どうも期待感がないというのか、そんなふうな。 ただ、その場所からフェイドアウトすることは、 やっぱりかえって自分をさいなむことだと思ったので、(きっとわたしは自分を悪いと思う…) お薬をもらうためではなくて、釈明をするために、 おなじ精神科に、とうに薬も切れて一週間もたった今になって やっと、 行きました。
待合室で、ずうっと流れるテレビをいつもぱちんと切ってやりたいと思います。 わたしの不必要にささくれ立ったココロは、 あちこちから聞こえるテレビの音や光やおしゃべりとの喧嘩にあっさりとまける。 自分のなかみがぐんなりと弱く弱くなっていって そのうち荒い呼吸でパイプ椅子に座ったまま横の公衆電話にあたまをもたせかける。 脈をはかれば120とかあったりする。安静時の倍ちかい数値。 たいてい、誰もいないことでもないかぎり、 わたしが座れるすきまがその待合室にはないので ひとりで臨時に使うための椅子を受付の下から出してきて、 それに落ちるのが気がついたらわたしの「居るところ」に、なっている。 その空気は、ちっとも変わっていなかった。
お医者さんには、 すっかり詰まってしまった声で、でも言いたかったことの半分くらいは言えたとおもう。 声はふるえて、ときどき詰まったりしてしまったけど。 シュミレーションしておいた甲斐があったのかもしれない。 あとは、わたしの思うように伝わっていればいいのだけれど、 そこまではわたしにはわからない。まだ、わからない。 ただ、
お医者がわたしに伝えずに両親にだけつたえたこと、 「お嬢さんは薬では治せません。カウンセラーを紹介します」という、 わたしをあの場所不信にする核だったこのできごとについて、 その照会してくれたカウンセラーのひとはすでに 大学のときの担当カウンセラーさんと一緒に検討して 療法の考え方の中心が、たぶん、わたしにとって今よりも「危険」な方向に転びかねない そういうものだから、かかるにはリスクが大きいので通うリストから外したこと、 そのことを言った。
あとは、わたしに説明なしに話がすすめられてゆくと情緒的に混乱がおきること、とか。
ぼつぼつと、話した。
……診察は、とりあえず継続することになりました。 ほかにゆくところが見当たらないから、という理由もあれば、 あたらしい場所をさがしあてて電話をする勇気がわたしにないせいで、 首をかしげながらも、もうしばらく、 わたしはあのお医者に通うことになるようです。
お盆前だし、いっそ一緒にすませてしまえと行った皮膚科のお医者さんは ふとした流れで話したわたしの精神科についての話について、首をかしげていました。 その対応は自分のおもう「患者への応対のしかたの筋」から外れているとでもいうように。 そうして、「医者なんて相性がすごくあるんだから、どんどん変えちゃっていいんだよ」 そういいました。
「アトピーはいつかは消えるよ。 ただ消えるのが早いか遅いかなだけなの。 60歳になっても、本当の意味でアトピーのひとはいないんだよ。 でもあなたの場合はストレスがすごく関わってるから、 カウンセリングはできれば必要だとおもう、お薬だけじゃ駄目だろうとおもう アトピーとちがってストレスは一生続くかも知れないんだし 自分で把握できたストレスの元は、そりゃ確かにストレスだけど、 でも、あんまりそれに囚われすぎないようにしなさいよ」
そういいました。
……わたしはこの病院になら、安心してこられるナ、とほんとうに思ったときでした。
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お薬をなくしたり記憶を飛ばせたり、ここでなきごとを言ったり アドバイスをもらったり、していた二週間。 どこが病気なんだろう、って考えてました。 いっそクスリなんて断ち切っちゃって、病院なんて行かなくって、 がまんがまんでやっていったって平気なんじゃないの?そうも思いました。 病気ごっこ。 ときどき元気なときもあります。 はしゃぐこともできます。 いっそ家のなかでわたしはとーさんとかーさんの相手であってピエロみたいです。 アルバイト先に行けば、ムードメーカーみたいな雰囲気です。
だからよけいに、そんな気分がつきまとってならず 余計なお金を使わせているような気がした。
でも、
外に出るとくるしい。 なんでかわからないけど、くるしい。 くるしいのが止まなくて、ぶるぶるがたがた震えて ぐんにゃり歪んでく視界のなかを一本の槍みたいになって突き進んでゆく。 ひとじゃない、にんげんじゃないみたいに。麻痺したからっぽのココロ。
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認知のゆがみ。
基本的に、「じぶんはきたない」と、わたしは思ってる。 剥がれ落ちて床をまっしろにする皮膚のカケラをみるたびに きもちがずんずん下がっていって止まらない。 晴れた日ならすこしは元気にもなれるけど 舌打ちをして掃除をするとーさんをみると、どうしようもなくて自分をきずつけた。 疲れてるのに片付けをしなくちゃとぼやくかーさんをみるたび、 わたしは拍車をかけている存在なんだと思ってどこかがじんじん傷んだ。 恐怖におびえた。
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わたしはむかしから、掃除機がきらいです。 それは、だれかのきげんがものすごく悪い証拠だったから。 普段見過ごせていることが、腹を立てている誰かの気に急に障りだして、 そうしてあたりに散乱するキタナサに怒り狂ってかけはじめる掃除機。 突然なりだして、両親がわたしを追い詰めてく音だった。
ホコリよりも、わたしのまきちらす、 ばらばらに乾いた白い皮膚や、血痕や、体液のシミの多いばしょ。
それだからわたしはじぶんが無用だと思ってた。 今でも思ってる。
わたしがいないほうが、このウチは滑らかに暮らしていける、って。
ごはんのときに沈鬱にだまりこむわたしがいなくて すぐに不貞腐れたみたく口をきかなくなる扱いの小難しいわたしがいなくて あたりの雰囲気にばかみたいに怯えたり急に泣き出したりするみたいなわたしがいなくて 好き嫌いの多くて好みがずれているわたしがいなくて すぐに寝込んで人の助けをひつようとするわたしがいなくて あたりを汚すわたしがいなくて
たぶん、わたしはいないほうが、ひとのためになるって。
……そういうことが、病気だって、いうんだろうな。
たぶん。
せかいをきれいだと思うこころはいっぱい残ってるのに ひとがそばに来ると体がふるえてだんだん混乱してきて、そのうち目眩がしてきて 視界がせまくなる。腕がしびれて引きつったり、息ができなくなったり、する。
ひともせかいの一部なのに どうしてわたしは きれいなものを、そこに見つけられないんだろう。
まなほ
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