心よわいままにことばを書くと どこかから、誰かが手をさしだしてくれるので わたしは すこしずつ、また、上をみることができるようになるみたいだった。
・・・・・・ありがとうございました。
さがしびとさんは、無事、みつかり、 たくさんの「ありがと」を 昨日は言うことができたみたいで 今日にもそれは引き継がれたみたいで だからたぶん 「もう、だいじょうぶかもしれない」と、思いました。
何がだいじょうぶなのかは、よくわかってないんだけど。(苦笑)
そんな日だったきのう そのおわり。 それはもう深夜なのか未明なのかよくわからない時間だったけど。
いつか使おうと思ってだいじに仕舞っておいた 色違いに勢ぞろいしたちっちゃなアイコンを、いざ使おうと思ったら、 薄荷色と菫色のやつのデータが壊れているのがわかって、あわてて、 そのアイコンをもらった素材屋さんサイトに出かけていったら、 閉鎖されていた。
それだから
これも作ったばかりだったじぶんのページのリンクの該当箇所に 閉鎖されました、と書き付けて更新してサーバに送った。
それから少しぽかんとした空白を抱えて 最後のごあいさつを読んでいました。 ちっとも稚拙な素材なんかじゃない、むしろすごく素敵な場所だったんだけどな わたしはとても、そこが好きだったんだけどな、そう思いながら、 自分のてもとに残っている素材をだいじにしようと思いながら、 自分とすれ違いみたいにその場所がなくなってしまったことに、ぼんやりとたぶん驚いてた。
こんなふうに急になくなるものが、とうぜんだったっけ、と やっぱり前触れもなく空白はやってくるんだったっけ、と
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滅多にテレビは見ないけど 春先から、この季節にかけては、なぜか ドラマを毎年のように、みているような気がする。 毎日がおやすみだからかな、 最初の年は、ある意味今よりもはるかに真剣に病みながら 終わりかけているちゅらさんをみて、 いつか行った沖縄の風をみてた。
今年はなぜか、とーさんと見ている。
サトラレ。
柄じゃ、ないかな? 映画ではぜんぜん観なかった。 でもわたしはこのところなぜか毎週のようにこれを見ている。 そうして、 エンディングのまっしろな背景に次々と花のようにひろがってゆく鮮明な色を見て、 そうしてこれから空を飛ぼうとでもするみたいに 目を閉じたままゆっくりと頤をあげてゆくひとたちの影の薄い姿をみて いつも少しだけ泣きそうになっていたり、する。
その色と、かたちと、たたずまいとが わたしにしのび寄ってきて、わたしを揺さぶるんだ。 だから、
昨日の夜もそれをみていて それは置き去りにされた赤ちゃんとの一日の話で いつものように心温まるよくできたお伽話で、 そうして、
わたしがこわれた。
「俺の心をよくさとって、よくわかる賢い子だから、サトル」
テレビの画面からそのせりふが何気なしに無邪気に落っこちてきたとき とーさんが振り向いて、わたしがなんとなく押し黙り、そうして無言でもとに戻った。 なんとも言いがたいような雰囲気を少しだけ忍ばせて、何事もなく話は続いてゆく。 サトル、という言葉を画面からたくさんたくさん落っことしながら。
「サトくん。」
……連想するものは、同じだったのだとおもう。
話のさいごに赤ちゃんはお母さんと出会って、そうして元気に旅立っていった。 よくできた大団円、よくできたお伽話、50分間に収められたハッピーエンド、 だけど。
モノローグでかぶさってくれる心の中のことば。
「サトル、、、、元気でな、、、、元気でな、、、、」
……わたしがこわれた。
無言で まざまざと
あのときの視界が立ち還ってきて、わたしは爆発しそうに涙を抱えた自分をみつけた。 わたしだけ、棺の前でさいごのお別れをさせてもらったとき 道ばたから盗むように鋏でちぎってきた菜の花を抱えて がらんとした広い部屋のなかで 棺の上を覆っていた白い布をとりのけたそのときの視界、 ほんの少しだけ傷のついたまっしろな顔で、あなたが横向きのまま眠っていた あのとき。
かなしいのか、さびしいのか、はらだたしいのか、 その全部をひっくるめてそのときだけ涙が爆発した、わたしの、 濁った視野のなかのあのときの サトくんが 布をとりのけてゆく従姉の黒い着物の袖からみえるふっくらした白い手と もうねこんなにね横むいちゃってるんだけどね、、、そんなような声が どさりと何処かから降ってきてわたしを連れ去った。 あのときの、あの時間の、あの場所の、わたしに。
テレビの画面とかそれを見るとーさんとか いっそ話を続けていくオダギリジョーと鶴田真由とかそれでもいい、とにかく そういうのとは別個のところで視界がはじけてわたしの頭のなかがふっとんで
「元気でね」
わたしが言っていた。 どうしてかわかんない、でもわたしが絶対に言わなくちゃいけないと思った、ことば。 叫ばないのが苦労だった、発音するのがそのまま号泣にならないかと怖かった、 泣かずに立ち続けている伯父さんや伯母さんや従姉やもうひとりの従兄、 それを前にしてわたしが泣き崩れるわけにはいかないから、それだけは絶対にだめだから、 そうしてひしゃげた声で、わたしが搾り出した
「元気でね」
その声が聞こえた。 真夏の夜に、扇風機なんて回しながらテレビを見ているわたしに 春先の、まだあたたかいよりも寒かったような季節に着たくもない喪服を着て 唇をひきむすんで、たぶん不貞腐れたような顔をしていたわたしが。 そうだあれは去年の秋にたまたま通りがかりで売られているのを見た両親が買うと言い、 とてもよろしい品ですという店員さんの勧めもあって後日わたしが試着に連れてゆかれ そうして買った喪服だった。 試着室で唖然とした、いやみなくらい似合う、喪服だった。
「こんなことのために買ったんじゃない」
まだ暗い朝、袖を通しながらぐじゃぐじゃのきもちでそう考え、 そして笑い泣きのように冗談に紛らわせて口に出した。
「っていうかこんなふうに役に立たなくってよかったのにね!」
……結局まだ、サトくんのためにしか、着ていない服だった。
今、実際にみえている世界とはべつに 頭のうしろのほうから覆い被さってきた、4箇月まえのきのう。 わたしはまるで、ふたりいるみたいだった。 あのときのまま、周囲を殴りつけたいようなきもちで泣き出しそうな自分と テレビ画面をみて、笑う自分と。
たぶん、フラッシュバックというのだと、今は思う。
従姉の言ったことばが、今はおもいだせない。 けれど、きのうの夜あのときのわたしにはくっきりと聞こえた、 わたしの頭の中のどっかにみんな眠っているんだ。 あのときの、部屋の白さも、言われたことばも、サトくんの顔も、 それからまるで怒りみたいな、つよくつよく全部を否定したく憎むきもちも 吹き上げてくる、なみだも。
どうせならもっと前にみた笑ってるサトくんを思い出させてくれ。 そうして焼き付けてくれ。 あたしの脳細胞、 あんたはどっかまちがってるよ。
そんなふうに、自分を罵倒しても なんにも、思い出せない。
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気がつけば、もうすぐお盆が来るんだった。 でもわたしはあのひとに会いに行かない。 届けられる一輪の花もない。 ただ、 あんまりじぶんが泣いてることを知って、ぼうぜんとしてる。 そのひゃくぶんの1も泣いてなくて 悼みは、ながながとひきつづいて これじゃいなくなったほうが苦しいんじゃないかと思う、だけど
今日こそは病院へ行かなくちゃと思いながら すこしは、生きいそぐことを、おぼえたほうがいいのじゃないかと思いながら まだ、ここにいる。
サトくんを連れて、 ひきずってかも知れないけど、背負ってかもしれないけど、 どこかにゆこう。
せめて。
この夏のしっぽのカケラくらいを齧りに、 そとへ、出よう。
・・・出なくちゃ。
・・・・・・出かけなくちゃ。
2002年8月9日、風のふくひるまに まなほ
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