ちいさいころ。 世界が終わる日は、きっと夏だとおもっていた。 こんなふうによく晴れた、熱い熱い八月のある一日に 世界は終わるんだと思っていた。
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ヒロシマの日でした。
わたしの住むここも、また、
暑い日でした。
世界の終わりにふさわしい日でした。
ただただ、熱く
白っぽいような夏の日ざしのなかに、ぜんぶが焦げ付いて、
そうして、まっしろに焼け焦げて塗りつぶされていく。
一瞬の、フェイド・アウト。
白昼夢みたいな、ものすごくはっきりした、「終焉」。
せかいのおわり。
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でも実際には終焉は終焉ではなくて地獄のはじまりだったと。 画面にうつる原爆の絵をみながら、わたしは知るのでした。 呪いのように 出来事を背負いながらひたすら永らえてきたひとたちの描く絵と、綴ることばと、 からだをねじり吐くように押し出される台詞と。
一秒の前と後とでは世界はどれだけ変わったか。
わたしはどれだけ変わらねばならなかったか。
57年。57年。57年。 繰り返し告げられるじかんは、わたしの生きてきた年数を二倍してもまだ余りあって、 ああわたしの身体に焼きついた呪いが(そうあの夜から這い出し生きながらえなかったあなたが) たとえばあと十年で消えなかったからと言って空を恨み悶えることはないのだと ばくぜんと思いました。
57年を経て語られる出来事のために それがために 詰まる声や吹き上げてくる涙があることを、わたしは ひどく鮮明に、今日、このこころに焼きました。 こらえることのできない涙が57年前の一秒の中からやってくる。 そのことを。
なんと言えばいいのだろう。 なんと書けばいいのだろう。
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今日 8月6日。
ヒロシマの日でした。
「せかいのおわりは、熱い夏の日にやってくる」
そう信じ込んでいるただ6つか7つの小さなわたしがわたしを見上げて聞きました。
「今日なんの日か、しってる?」
13歳のとき、はじめてわたしは死にました。 舞台の上で、はじめてわたしは死にました。 その彼女が聞くのです。
「本当はわたし、なんになったの?どこへ消えたの?みんなどこへ行ったの?」
誰もやってこない夏休みの学校で 向日葵の葉っぱの先で光っている、しずくの中の青い空を見つめながら あの一瞬の光の中で、そのしずくと一緒になった彼女が わたしに聞くのです。
「わたしってだれ?あなたってだれ?ひとって、ほんとうは、なに?」
ねえ、ねえ、 ねえ・・・・!?
……悲鳴のように問いをさけんで ひとりのわたしが舞台の上で死にました。 一瞬の光の中に焦げ付いて、まっしろな世界のおわりのなかに消えて、焼けて。 ちぎれた右足を捜し続ける子どもたち。 かくれんぼうしていたそのままに 学校の壁に影になって貼りついた子どもたち。
そのあとに続く地獄をみなかった。
だからわたしは少なくとも今日だけは 見届けるべきものはあるのだと言い聞かせて 逃げ場をなくして 顔をあげていなくちゃいけないと 思うのです。 思っていたのです。
今日この日だけは、わたしは、自分だけで病んでいてはいけないのだと。
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病院へは行けず、お薬はわたしを守れず、わたしはわたしを守れず、 それでもわたしはこの夏のなかにいたので、わたしは 今夜、「原爆の絵」を見ました。 丸木夫妻のあの有名な巨大な黒と赤とが叩きつけられた地獄絵図のような現実ではなく、 ただ、 稚拙な線で 塗りたくられた色で それでも よじれ悲鳴をあげ泣き叫んでいる無数の絵。 ほんの少しでも、背負ってきた呪いを融かすためにそこにある 三千枚のあの日。 三千人のあの日。
もしも一枚一枚、これらの絵をひろげ、並べてゆくとすれば、わたしは おそらく逃げ出したくなるのだろう。(でも逃げてはいけないのだった)
これに似た絵を、わたしは一度だけみたことがあると思いました。
スペイン、マドリッド、レーナ・ソフィア。 ソフィア王立美術館、 ピカソ、「ゲルニカ」
絵筆を叩き折り眼球を血走らせながら、文字通り身を削りながら 怒りと無念と哀しみとありとあらゆる混乱を画家である自分の腕にたくして 命をかけて。泣き叫ぶかわりに。 描かれたのに違いないと思いました。 掲げられた壁からどうどうと零れ落ちてくる、画家と失われた命の無数のうめきを、 聞いた気がして。
壁が叫んでいる。
そう思いました。 遠い旅のそらの下で、 すすけたような曇り空にうもれた異国の都会で 赤い傘一本だけを手にして わたしは立っていました。
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今日の日を
今日の日を
あなたは、いつまでおぼえていてくれるのだろう、と
訪れる先々でいなくなったひとたちが呼びかけてくる。
オキナワでも、ヒロシマでも、ナガサキでも そうして真冬に訪れたあの寒い街でも、呼びかけてくる。
それは記憶のなかでは いつもよく晴れた暑い八月の一日のような気がして わたしは世界の終わりはきっとこんな日にやってくるに違いないと 幼いわたしをだぶらせながら、彼女たちを引き連れ歩いてゆくのです。 かずかずの呼びかけにつぶれそうになりながら、 でも、 生きているわたしは、生きているから。
生きているから。
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この世界の上に、ほんとうに地獄があったのならば 天国だってあるにちがいないと、わたしはかみさまに訴えました。
今日、この日、 57年目の8月のいちにちの おわりに。
だからどうぞ、わたしが、 たとえあのひとのことを思ってこわれたこころが泣いても もう大丈夫だと思える日がいつか来るんだと、 虹の落ちた先にそれはあるかもしれないと、 信じていても、かまわないのだと、
信じさせてください。
これ以上なにも、毟り取られなくても、奪われなくてもいいのだと。 この世界の上に、ほんとうに地獄があるのなら 天国だってあるに、ちがいないと。
2002年8月6日、記 まなほ
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