ホームページを作っている最中、 この間の精神科の診察のことを思い返していて、 それから、そのあとの生活のことをぼんやりと思い返していて、 困ったことに気がついてしまいました。
それは、「治療を受けている感覚」をわたしが見失ったこと、です。
このまえの診察。 土曜日だった。
はじめて両親と一緒に病院に行きました。 というより、 わたしが独りではそこまで動けなかったので (行動する、ということが重たくて、ぜんぶ投げ出して眠るだけだったまいにち) 買い物にいく母と父とに同行するかたちで車に乗せていってもらったところ、 たまたまわたしの診察という用事がいちばん長く時間がかかってしまったので 両親が待合室に現れる結果になったのだけれども。
もちろん、 わたしの診察に同行する、その機会を両親がうかがっていたことは間違いなく、 それはあたりまえだろうなと思います。 だからそのこと自体については、 ああついに来ちゃったかあ、というのがわたしのものすごく素直な感想でした。 嫌とか嫌じゃないとかそういうことじゃなくて。 来るべきものが来ただけという、ああそう、というだけの。
なぜって。
以前はどこか、わたしの状態にたいする拒否感が うちのなかには流れていました。 精神科に通うとかカウンセリングを受けるとか、そういう事柄に対しての、拒否感。 必要ならば行きなさいというその台詞の裏返しにある行って欲しくないという主張。
うちの両親、ダブルバインドが得意なんです。
で、わたし、それを感じ取るのが得意なんです。
笑。
だから、たいていのことはひとりでやっていました。 大学の相談センターに通い続けても報告はしなかったし たとえものすごくショックを受けたことがあっても家の中には未公開でいて、 卒業してからは、お金が足りないのでカウンセリングには行けないと思いました。 何もしないやつは家から出て行けと 素面のときはともかく酔ったときのパパは怒鳴るので、 通信制大学の願書を取り寄せて図書館司書の講座に申し込みをし、 大学図書館のカウンターに駆け込んで募集もないのに雇ってくださいとお願いして、 運良くそれが通って、卒業式をむかえる前に準職員みたいな立場を得ました。
(なので卒業式はちっとも感慨深くなかったです。だって翌日も来るし、、、みたいな。苦笑)
それで一年、ごまかしてきました。 ごまかしなのは、わかっていました。 だって、 ちっともわたし、司書講座の勉強、できなかったもの。 夏期講習に行き始めたら二日目で倒れて熱をだしたもの。 それでも残り四日間、どうにか通って単位はもらえたけれど、 のこり21単位は、まったく手付かずなんだもの。 ちがうの。 手が、つけられないんだもの。 テキストを見ると、べりべりと破って地面に叩きつけたくなるもの。
でも この2月、風邪をひいた日を境にしてあきらかにアトピーの状態が悪くなっていって 状態がいい日と悪い日の波がいつまでも続いて、 外に出かけなくなったり アルバイトに、いけなくなったり 寝付く日が多くなったり たべものを、食べなくなったり、、、
そうして、春。 桜が散ったあとに、いなくなってしまったサトくん。 その葬儀や納骨の席に、行くと言い張ったわたし。 ばらばらと崩されたほね。
ひどく、認めがたいことだけれど。 サトくんがみずから消えてしまったことで わたしに対する風当たりは、かくじつに、よわく、よわく、なっていきました。
ねえサトくん ちゃんと聞いてほしいんだけど、わたし、 あなたにそんなことで役に立ってほしくはなかったよ? それは絶対憶えておいてほしい。憶えておいてください。 そんなことで役に立ってくれても、わたしはちっともうれしくなくて むしろ腹立たしくて あなたが信じていたらしい神様をひっぱたきに世界の果てまで走っていって それからあなたを怒鳴りつけて 腕をひっぱって、むりやりにでも帰ってきてやりたいよ。
(・・・・・・・・・でも、でも、)
(・・・・・・・・・ありがとう。)
……ひとは、鉄壁じゃないんだと、 どんなにそれを拒んでも、ある日、 死に引きずり殺されてしまうこともあるんだと たぶんみんな、いつもは忘れているのだと思います。
それを急に、引きずり出したのが、サトくんで。
そこに、わたし、という、病んでいる存在がいて。
………たぶん。
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「お父様が待合室にいらっしゃっているそうですが、入っていただきますか」 と、お医者はわたしに聞きました。 いくらなんでも家族面接はちょっと遠慮したいなと思ったわたしは (なぜってたぶん、そのショックに耐えられないだろうから) 「まだ早いと思います」ということばでそれを断りました。 そうして診察はおしまいになりました、 けれど。 ドアをあけたらなぜか「お父様」じゃなく「お母様」もそこにいて、 そうして両親がわたしと入れ違いに診察室に呼び込まれていきました。
なんでですか?
……よく、わかんない。
そうして、そこで何を言われたかといえば お嬢さんは薬では治せないと宣言されて、 カウンセラーを紹介されたそうです。
この、一切合切が、わたしの了解なしにすすんだ出来事で、 ちなみにあとで聞いてみればパパママも何も希望していない 家族そろってなにがなにやら?状態で起きた出来事だったようで
それはいったい、 なんなのだろう。
なんなのだろう・・・。
お薬はぜんぶ変わりました。 試していたパキシルだったSSRIが打ち切られて 古いタイプの抗欝剤に切り替わり、一日三食ごとに、それと抗不安剤を飲むように。 それから副作用が消化器系につよく出ることを訴えたがための、胃腸薬。
それから、数日。
わたしはお薬をなくしました。 真っ赤な色をした抗欝剤は持っているけど、胃腸薬はもっているけど、 あったはずの抗不安剤をなくしました。 今までたぶんいちばん「いのちづな」に近かったのじゃないだろうかと思う、 抗不安剤をなくしました。 とにかくばかみたく記憶が曖昧なのは 存在不確かなこの「病気」のせいなのかお薬の副作用なのかわからないけれど とにかく、1シートまるごとなくして、さっぱり思い出せない。 それをどこに置いてきたのか。
そういえば次に病院に行く日を思い合わせると、それは今日でした。 だけどわたしはすっかりそれを忘れていて、まったくその気がなくて そうしてふと 病院に行くということに、いったい何の意味があるのかと思いました。
あそこに行っても 楽になる気が、ちっともしなくなっていることに、気がついてしまいました。 医者が何を言おうともお薬は欲しいとか、 いやいっそ新しい薬をもらってコレクションしたいとか いたって邪道な気分でもかまわないから 持っていなくちゃ意味がなさそうな気がします。
でも、なんだか、その気もないみたい。ひどく薄いみたい。
あらら。
精神科でこれはよくないと思います 治療意欲ゼロというよりマイナスに近く、 担当医に不信感を持っています、なんて 絵に描いたみたいに意味がなさそう。
あらら。
やっちゃった。
どうしようかな。
どうしよう。
どうしましょうね。(笑)
それでも、混乱と不安は襲ってくるまんまなのにね。
とりあえず医者に紹介されたカウンセラーというのが、 前に大学を卒業するときお世話になっていたカウンセラーのひとと二人で、 卒業したあと行ってみる場所の候補として顔つき合わせて検討して 二人揃って「却下!」した人な気がしてならず、 30日に大学に行ったときに相談センターに寄って受付のひとと調べてみたら、 こんなときばっかり、「オメデトウあなたの記憶に間違いなし!」ということで、 それはちょっとねえかみさま勘弁してほしいんだけど、と大音声で思っている、 まなほ、記(笑)
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