『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年07月31日(水) 帰り道のにおい、遺書を綴る。


それはとても晴れた日で未来なんていらないと思ってた
わたしは無力でことばを選べずに帰り道のにおいだけやさしかった
生きてゆける、そんな気がしていた

(こっこ「Raining」)


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1. 朝に


目がさめて、とつぜんに思い浮かべた鮮明な文章。


「わたしの帰り道のにおいは
 今
 やさしいだろうか」

ときどきそう、問いかけてみるのもいいのかもしれない
行き場所がなくて、生き場所がなくて、逝き場所がなくて、も。

生きてゆける気がする、ということと
生きてゆこうとおもう、ということは
本当によく似ているようだけれど
はっきりと明確に、ちがうものだと

起き抜けと暑さと微熱で、ぼんやりとした頭になぜだかおもいうかんだ。

わたしはいま、
そのなかの
どの位置にいる?
どの場所で
わたしは崖っぷちに腰掛け足をぶらつかせながら、
あの旋律を、世界が終わるうたを、うたっている?

このからだをかかえて外の世界にゆこう。
わたしに冷たく、そしてあたたかく、けれどなんのにおいもしない
無味乾燥な場所へ。

悲観するつもりは毛頭なくて
むしろわたしは感謝します
ただ、傷だらけの足で外に出てゆける、単純でしかたのないそのことがらに
こうしてなにかを綴れる指が、腕が、まだ、
残っているというそのことに。


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2. 西に住むひとへ


ねえ、あなたは、いま、
「生きてゆける気がする」?
それとも
「生きてゆきたいと思っている」?


降ってきたことばのカケラにたいして
とおいとおい西の空にむかって、今、わたしがさけびかえしたいとおもうこと。


それは
とてもとても
単純でシンプルなことなんじゃないか、と
じぶんでは、思います。

愛だとか恋だとかともだちだとか
ある日を境にそういう関係はこつぜんとあらわれて
間仕切りなしに勝手に連綿とつづいて、わたしを惑わしたし惑わすけれど
じぶんというひとりの出来損ないのにんげんが
どこかから現れただれかから恋ということばを持ち込まれるたびに
大人なんて面倒くさいと吐息をついたけど、そのきもちはたぶん変わらないけど
だからこそ
わたしはおもいます。

それらの違いなしにことばをかわすことは不可能なのかもしれないけど
でも。


「関係というものにとらわれずにわたしは「あなた」のことを思いつづけています。」


そんな事柄が
いとも簡単にわたしのなかで成り立つから
わたしは、追い詰められていくのかも知れないけれど。
だれかを、ふかく、傷つけていくのかも知れないけれど。


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3. 夕方、夜、そしてまた、朝


最近、いつも、カメラを持っているようになった。
元来、凝り性のわたしがすること、
いまのわたしの生活費、数え上げてみたらお薬代と病院代のつぎに高いのが
写真のプリント代かもしれない。それくらい。

このせかいに残せるものはこれしかない、
そう思いつめているみたい。

ちいさいころからずっと
まいにち、まいにち、
歩いてきた道。のぼってきた坂。自転車で走り抜けた場所。かえってきたうち。

今日も。

ふととおりすぎることのできなかったいくつもの存在や色合いを
わたしはそのなかに見つけてしまい、そうしてまた
シャッターを切った。
40枚ほどの風景と時間をわたしは凍らせた。

カメラを持つようになってからひとつ変わったこと、それは
いつもの道がいつものように見えなくなったこと
もっと、ずっと、
細かなニュアンスでわたしのまなざしが風景を掘り続けていることに
ふと、今日、気づいた。


どこかでおもっていた。
写真は、風景とことがらを記憶に焼き付けることを、軽んじることなのだとおもっていた。
印紙のうえに焼き付けて、それで安心して、ほかのものをみなくなる、
旅の合間あいまに見かけたひとたちのことやいろんなことを思って
そうおもっていた。

でも、
ちがったんですね。


わたしの目は、いままで見えなかったものを、みつけるようになった。
空も雲も道も緑も、道端をゆく猫もいままでは見ていた、
けれど
その空の色が一時間前とちがうことや
雲のたなびき方が数秒前に見上げたときと、すでにちがうことや
つまり、刻一刻と
生まれ変わっているせかいのことや
それから小さな小さな花の色や、つぼみのねじれや、
雨に濡れて乾きかけたアスファルトの色合いや、そこに散らばる花の半透明な皺、
そういったものたちが
わたしのこころの網に
ひっかかって、ほのかにひかるように、なった。

あと足りないのは、その風景にともなって揺れ動いたこのわたし、
このわたしのこころの色。それはまだ、わたしの目にはうつらない。
ひっかかったものを写し取ることでなにかを探っているいるような気配がある、
けれど、気配は気配にすぎず、
わからないまま、わたしはシャッターを切りつづける。
一瞬のいまを。
切り取る。


もしも、その思いの色を焼き付けられるようになったのなら、、、、
帰り道をたどりながら、わたしはおもった。
はっきりと確信にみちて、わたしはおもった。


「 それが、わたしの遺書になる 」


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それはとても晴れた日で
泣くことさえ出来なくてあまりにも大地ははてしなくすべては美しく
白い服で遠くから、行列に並べずにすこし歌ってた・・・・


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遺書。
それはわたしの死を意味しない。内包はしても、指向しない。
だからたとえわたしが日々じぶんの遺書を書き続けているのだとしても
誰もなにも驚かなくていい、驚く必要なんてないと、おもう。

ただ、たぶん、
それはごまかしようのないかなしみと希望に満ちていて
くつがえすことのできない、わたしのなかの本当なのだとおもう。
徐々に徐々にこまかく繊細な糸にからまれてゆく
わたしのこころのなかにおさめられてゆく、
いつか翼になるための、羽毛の先のひとすじの毛ばだちなのだとおもう。


わたしをいろどっていく
毎秒の
この
世界からの誘いを断ることが、わたしにはできなかったから。


わたしはたぶんいつか
遺書を書き上げるだろうと
歩道橋の真中にすっくりと立ちとおいそらをのぞきながら
わたしは、思っていた。


48枚。

それが、
きょう、
それまでにくらべてあまりにも
死というものと隣り合わせにありすぎたこの年の夏の七月の終わりの日に綴った
わたしの無言のことばの数です。



2002年7月31日、そのいちにちをかけて   まなほ


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