| 2002年07月26日(金) |
がらすのいろ、がらすいろのおと。[26日深夜、追記] |
珍しく、TVチャンピオンなんていうものを見ながら書いてる。 わたしはこんなふうにパソコンにどっぷり依存して生きているけど そのかわり、と言ってはなんだけど 自発的にテレビをつけることはほとんどない。 ここのところ一ヶ月くらい触ってないかもしれない。
スイッチひとつ、 それはわたしの役目でなくて 今日もまた、パパがつけた番組。 手造りガラスの人が出てるから。 眠り始めた人を余所に、わたしはかわりに画面を見つめる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
がらす。
硝子。
ガラス。
とてもすきなもの。 とても、すきだったもの。
わたしの好きながらすは、まったく装飾的で、ちっとも役に立たないものだった。 それはもしかしたら、この世界にあるあの硬いがらすじゃなくて、 もっともっと空想的な思いに満ちている「イメージのかたまり」なのかもしれない。
いつか なつのひかり、ということばを書いた。 ひらがなばかりでつむいだ わたしのなかで呼吸しつづける、ひとつのかたち。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
がらすいろのくうきに たしかにかたいてざわりをみて ぼくは びいどろのように こころなしかにごったみどりへと ふと てをのばした
まどわくのそと むかし ぼくがとてもすきだったひとたちが きらきらとわらいながら どこかへかけていくのがみえる
こけむしたいどのわくに そっとてをかけてみなもをのぞく そして ぼくはおちていく ひとしずくのみずになり あなたのてのひらのすきまから ぼくはおちてゆく
そこにあるのは あふれかえるなつのひかり さわさわと さわさわと なにひとついろのない こえのない がらすいろのひかり がらすいろのひとたち
なつかしい けはいがする
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何年も何年もかけて、 一字をけずりとり、一字をくわえ、いれかえ、 そうして残ったのはたったこれだけの文字だった。
これだけがすべて、 これだけですべて。
きらきら、 さらさら、 光があふれてことばから溢れだして水がたまるように 紙の上から無数の粒子やなにかがこぼれだして、わたしの足元をうずめた。 がらすの欠片に足を浸したらたぶん傷だらけになるだろうに、むしろ、 わたしはそうしたいとおもった。
なぜって、きっとそこは
ひんやりとつめたく、そしてあたたかいだろうとおもうから。 水も空気もすきとおったひかりも、それから過去も未来も、ぜんぶが しずかに守れらて沈殿しているとおもうから。
そうして、その気になりさえすれば、「わたし」は この汚れた一枚皮をへだてたむこうにあるきれいにすきとおったたべものを ひかりを、のみほせるような気に、なれるから。
からだのおくそこから 黒ずんで流れる血をあらいながして 世界を見透かすことができるほどにすきとおった つめたい、とてもきよらかな水に 変えてくれるような気が、するから。
そんな「思い」と「錯覚」だけが、 イメージと祈りを吸い取ってまるまるとふくらんで、わたしのなかでしあわせに太ってゆく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
左手に、拾いあつめたがらすのかけらを溜めてみる。 ちいさな色とりどりのがらすの破片は 外側をたぷたぷと水に洗われて、白くくもって サンドブラストをかけたように半透明ににごって 向こうの世界をうつさない。
かすかにきれいな音がする。 かちゃかちゃ、かたかた、からから、さらさら、、、、 薄くにごったみどり、 深いふかい青のいろ、 つつましくてささやかな白、 さまざまな色がないまぜになった、わたしの手のひらの上の、がらすの音の なつかしさ。 あたたかさ。
(ほんとうはなんにもきこえない、だけど)
宮古島の、誰もいない小さな島の小さな小さな浜辺で、 スペインの、地中海に面するまっしろな砂浜で、 屋久島の紺碧の海でひろいあつめた、 それぞれの海の水に洗われて、そうしてわたしに拾われた、このちいさなかけらは
「きっといつか、水に還るだろう。」
そんなばかみたいなことをココロの片隅で信じてしまうわたしがいて、 ここで、誰かにあててことばを書いたり、誰とも知れないあなたに向かってさけんだり、 あるいは、病気と闘ったり、している。 春先からはじまった痛みや不調の波は、 梅雨を過ぎても夏になっても逃げてくれなかったから、 わたしは今年もまだ、夏を病んでいる。 三度目の夏を、病んでいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おひさまにむかってがらすをかざす。
これを拾いあつめた、すこやかになめらかな腕のことを、思い出しながら。 白い砂にまぎれた色を、ときを忘れてさがしあるいたココロを思い出しながら。 その遠い場所におそれなく出かけられた、今はない身体とこころ。
いつか、もういちど あの日に還れるかな。
還れるのかな。
(………そのためにわたしは、今を、病んでいるのかもしれないね。)
きのう、投票してくれた、誰か、どこかにいるあなたへ
どうもありがとう。
今日もまた。ちくちくと。 わたしはがんばってみようかなとおもいました。 ホームページという名前の、なにかを。 足跡を。 「あなたに後押しされて」 わたしは。
2002年7月25日、夜に まなほ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002年7月27日、深夜 追記
きのう。 うれしかったことがありました。 それは、お風呂に入ったら、足がしみなかったこと。
わたしのからだはどこもかしこも 無数の傷だらけ、裂傷だらけでめにみえない穴がたくさんあいているらしくて お風呂に入る、ということはすごくタイヘン、です。 全身がびりびりしみる。ちょっと動いてもしみる。 だからいつも。 わたしは泣くのを我慢するコドモみたいな顔をして湯船の中でうずくまります。 ほとんどお水みたいにぬるくしてある湯船の中に浸かって からだが動かせるようになるまで、じっと歯を食いしばります。
だからお風呂はすごくこわい。
でもそれをしないと、あっというまに皮膚の表面はぶあつくなって ごわごわになっていくし、衛生的にもよくないし、 せっかく塗るオクスリも患部に届かなくなってしまうみたい。だから、 勇気が出せる限りわたしは湯船の中で、びりびり痛いのをがまんします。
だけど、この日記を書いた日はね、 歯を食いしばって片足をお湯の中につけたら、なんの痛みもなかった。 びっくりして、びっくりして、笑っちゃいました。 うれしかったな。
今日はまた、痛みがぶりかえしてしまったけど、でもそれほどでもなくて、 この痛みは「永遠に続くんじゃないんだよ」ということを すこし、思い出せたような気が、しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きっと。
きっと。
いつかまた。
わたしはすこやかなうでで、どこかのまっしろな浜辺で 誰かが落としたがらすのかけらをひろいあつめて、おひさまにかざして いろんな音を きこえない音を
きくんだ。
ききたいんだ。
そう、おもうかぎりは、 まだ。
「わたしはびょうきばかりじゃない。」
そう信じていても、いいような気が、した。
翌日になりかけの、熱帯夜に 記 まなほ
|