『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年07月22日(月) ひぐらしの声の降る森で


この週末、
勇気を出して
わたしとしては、ものすごい勇気を出して
一泊旅行に行ってきました。

旅行といっても、心理療法のなかでも芸術療法に入る、
いく種類かの描画などを組み合わせた研究セミナーです。
まだちゃんと学生だった頃に、二度ほど参加していて、
そのあと、セミナー自体が開催できなくて、二年近くのブランク。

偶然。
バイト先であんまりにからだの調子が急におかしくなり、
これは、継続する肌のいたみにに耐えられる「つよさ」がなくなっちゃったんだと思い
お仕事を、早退させてもらって、
逃げ込ませてもらったカウンセリングセンターで、再開の話を教えてもらって、
在学中に担当だったカウンセラーの人も大丈夫だと思うわと言ってくれて
でも、
いつも寝込んでばかりだったわたしはどうしても自信がもてなくて
いつからだががらがらとくずれてゆくのか、その予測が自分でもつかなくて
暴れだす気配を探りながら
ずっと、アトピーと痛みと気力、という問題でせいいっぱいで
不安で、こわくて、申し込みができませんでした。
悪化したらどうしよう、電車が怖い、人が怖い、
前行ったときに怖かったあの男の人がまた来てて、またわたしのことを
変な風に扱おうとしたら、どうしよう。

先月の話でした。
うちの中以外での生活が、ほぼ、すべて、
得体の知れないものに見えていたころ。

ちがう。

独りでいるとき以外にわたしに訴えかけてくるものすべてが
脅威だったころ。
今でも、その気配は充分残ってる。
だからわたしは、家人みんなが眠ってしまったり出かけてしまって、
家中から自分よりほかのひとの気配が消えたときでしか
ここにきてことばを書き連ねてゆくことができない。
世界は無秩序で
かたちを知らなかった。
それがこわくて
おくびょうな小さな動物みたい。

でも、つい四日前の話。
ふっと見上げた空にレンズをむけて、シャッターを押せたとき、
「わたし、行っても、いいのかも知れない」
そう思った。

なんだか得体の知れない世界はすごくこわいけど
その場所でわたしのこころとからだが吸収したり発散するものは
普通の、この、庭の中にかぎられた生活のなかでは
どう努力したって実現できるはずのない、すごく吸引力のあるものだったから。

絵が描きたい。
絵が描きたい。
なんだかわからないけど絵が描きたい。
ひとりじゃ描けないけど
でも描きたい。


申し込み締切日はもうとっくに、二週間も前に終わっていたけれど
主宰している先生にお手紙を書いた。
ながいながいメールを書いた。
それから、放り出したまま、前日の強風でうっすら砂埃までかぶっていた申し込み用紙をひっぱりだして、プリントアウトしたメールと一緒に先生のオフィスにFAXをおくった。わたしの、弱ってる生きてく力でできることは全部して、
そうして息を殺して待っていた。
どこからか落っこちてくるかもしれない、お返事を。

お返事は落っこちてきた。
まさに、
当日の朝の8時半に。
先生からの電話で。

「きみは、好きなように過ごしていいから、おいで」

そう言ってもらえた。
肩の荷がおりた。
行きたいと鮮明に思った。
行くのが怖かったから、初めての電車に乗るのが、なぜかどうしてもこわかったから、
わがままなのは承知していたけど、参加するひとに地元の駅まで迎えにきてもらって
短い時間で手当たりしだいに荷物をつめた。
わたしのお守り」もたくさん入れた。
とぼけた怪獣のぬいぐるみとか、薄水色のほわんとした顔のうさぎがついているバスタオルだったり、読む時間なんて絶対ないとわかっている一冊の真っ青な本だったり、沢山のきらきらひかるブレスレットだったりした。

青いビーズ、白いビーズ、透明なビーズ、赤いビーズ。貝殻。木。黒の皮ひも。
それから、たくさんのオクスリ。

重たいかばんを肩にかけて
不安でいっぱいになって最寄の駅に着くなり倒れそうになって、
ふだんよく立ち寄ってみるアクセサリー屋さんのひとすみで息を整えて
とがりすぎた神経を、まあるくまあるくなるように、めをつむって、
それから迎えに来てくれた人に会うために、出かけた。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

クレヨンや、はさみや、糊や、粘土や、色とりどりの絵の具や
ほんのり青しろくてやさしいかたちをした乳鉢と乳棒、
そんななつかしいものを、また、手にして。
ハジメマシテの挨拶のあとに、6人ではじまるフシギなお絵かきのじかん。

まっしろですごく大きな四六版の紙をもらって筆なんて使わずに
自分たちのこの手と指で
絵を描く。
絵にならない絵。
でもその瞬間、それは「わたしたち」には、
世界でいちばんかっこよくてたいせつな絵なんだと思った。絶対に。

あしたになったら描けない色とかたち。
きのうだったら出てこなかったモチーフ。

草原は、海になり、川になり、大樹が画面をうめつくし、そうして燃え上がって消えた。
黒い影がゆらめいて、全部のものが水底にしずみ、魚はうずまり、雪が降り、水がながれた。
とうめいな水。
金色のひかりが降ってきた。
粉みたいに。
細い金色の筋を画面全体に散らばらせて、まっしろな痕跡をふりちらして、
そうしてわたしが最後までたいせつにたいせつに守って描いていた青い空の切片をみあげて
わたしたちの絵が、できた。

描いていて、すこしなきたくなったのは
たぶんその「空」の色が
サトくんだったからなんだと思う。


外ではひぐらしが鳴いていた。
涼しい音、夏のおと、わたしがとてもすきな音。
降りおちるみたいに、ひぐらしは鳴いてた。
出し惜しみなんて知らず、セミナーハウスの建つ森のなかのいたるところからの
輪唱。

うれしかった。
ひぐらしの声を聞いてやすらかになれる自分をみつけて。
うれしかった。
無言のなかで描きあげられた、わたしという自分だけのではない一枚の絵を、
好きだとおもうことができて。
うれしかった。
はじめ、ぼんやりとみていながらも、描きはじめたらとまらないわたしを
さいごの最後まで、一緒に描いていたひとみんなが見届けて、
そうして少しずつ、そのひとの手の跡を、入れていったことが。

電車は、こわかった。
昼間のパワーの使いすぎも、
明るさのゆりかえしも、ちょっとあった。
夜中には、部屋のなかで一緒にねむっている人たちの規則正しい寝息や
ひとりで取り残された感覚につかまって、どうしようもなくなって、
はさみを握って、
左腕を傷つけた、じゅういくつも。数え切れない赤い線を。浅くも深くも。
何箇所からもしずくになって流れ出した血をティッシュでおさえて
だいじょうぶだいじょうぶとくりかえしてた。
誰かにはさみを預かってもらおうと思って廊下をとぼとぼ歩いたけど
誰もいなくて仕方なしに部屋に戻って、気がついたらまた傷跡をなぞって
血の雫が、つつうーっと垂れた。
そんな失敗も、いくつかあった。いくつもあった。

でも。

しあわせだった。

あの場所で、好きなことだけしながら。
わたしは、すごく、守られていた。

別に見回したわけじゃなくことばをかわしたわけでもなく
ただ黙々と、空色を塗り、燃え上がる緑の木をもっともっと燃え上がらせ
魚を泳がせ、草地に垂れた黒い色を手の指全部でゆらめかせた。
もっと、もっと、もっと!

なにも考えないで、わたしの前にだれかが残し、ふりまいていく色とかたちに
次々に「わたし」の手を量ね添わせながら。
やりたいままに手は勝手にうごく。
まるで、いつも愛用の、35色の色鉛筆をあやつっているときみたいに。

そうしていつもなんとなく、ふんわりとしたくうきをかんじていた。
安心して好きなだけ遊んでいいんだ、と、思った。ココロがふうわりとかるくなる。


ゆうきをだしてみて、よかった。
あの場所にいられて、よかった。


ものすごくくたびれて、なんだかどうしようもないけれど
少しだけ
生きていっていいのかも知れない、と、思えた。
死にたいさんは、まだちっとも消えてくれないけれど、でも、

ちいさな冒険はどこかで
ほんの小さな実を結んだ、ようなきがする、
あるいは、実を結ぶための花を咲かせるためのつぼみを、つけたような気がする。
毎日つづいていく「今日」の、
たゆまない「時間」は「将来」を呼んで
役立たずなわたしはすぐに悲観的に、必要以上にかたくなな自己否定をはじめるけど
そうしてすぐに、目眩がして投げ出して、死ぬことと生きることの境界線に
一歩近づいたり離れたり、毎日がそのくりかえしだけど。

でも

絵を描いてる瞬間、わたしはしあわせだった。
とてもとても、しあわせだった。


それだけは、すこしの曇りもない、まっさらなほんとう。


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