| 2002年07月20日(土) |
よかったこととかなしかったこと。 |
たくさんのことが一日にはあるから 到底、そのいちいちを、よかった、とか、わるかった、とか、つらかった、とか 全部をさばききれないものだと思うけど 今日、よかったこととかなしかったことが、わたしには、ありました。
よかったこと。 二週間ぶりに家の庭より外に、出ることができました。 晴れていて、あおいそらで、 まとわりつく髪の毛がうるさいし、痛いので くるくるとシニョンにまとめて(まるで、トゥシューズをはいて踊っていたときのよに) それに、りぼんをキュッと結んで 出かけて行きました。 サトくんを土の中にかえした日、買ってきた、 翼のはえたちいさなちいさな十字架のネックレスを、 勇気を出して、 裸の首に巻いて、
風のなか、
自転車をこいで、
そう、サトくん、 外はすっかり夏だったよ。 窮屈なネクタイなんてはずしちゃって、いつもみたくTシャツ一枚で ぱたぱた風にはためかせて、プラタナスの並木を下から見上げよう? すきとおったみどりいろを、おひさまにかざして、 その瞬間、世界でいちばんきれいな色を、みよう?
よわよわしいわたしの肌は、なんの金属も受け付けないと思っていました。 素肌の首周りにはなにもつけられない、そうやって暮らしてきました。 鎖が、傷を作るから。 金属が、肌を荒らすから。
でもサトくんの十字架はわたしをこわさなかった。 うちにかえるまで、ずっと、ずっと、わたしの荒れた首から胸元に ちいさな翼をひろげていた。
うれしかったな、 うれしいの。
すごくささやかなことかもしれないけど、わたしにはとても、新鮮にうれしいの。
そうして、バイトに出かけたら 職員さんがわたしを待っていてくれた。 いないとさびしかったわ、と言ってくれた。 それも、とても、うれしかった。 もっとずっと、嵐みたいな場所がせかいにはいっぱいあるのに ここはすごくやさしいところだった、今更身にしみて、うれしかった。 つくづく、わたしは幸運だとおもった。
かなしかったこと。
バイトから帰ってきたときは、精神科を経由してきたせいもあって (そういえばほんのわずかにお薬が増えたっけ) 8時を回って、真っ暗だった。 自転車のライトをつけて走らせてきたわたしは うちのある、行き止まりの細い路地にさしかかって、スピードをゆるめた。 暗いなか、明るいものがグイングイン音を立てて走ってくると ぱぱくんが驚いて跳ね上がって吠え出してしまうから。 だから、路地を曲がるあたりから、わたしは少しブレーキをかけていって 小屋の金網の前あたりから、ゆっくりゆっくり走るのが、習慣なので、今日も、 右手はブレーキをきゅうっと押さえて、 スピードは緩慢になる。
だけど、
「そうか、もう、こんなことしなくても、いいんだ」
小屋の主は逝ってしまい、からっぽの小屋はからっぽのままそこにあった。 我が家のあのはねっかえりで臆病なキャロルが、いなくなったときのように がらんどうにからっぽの、「行き場所」が「逝き場所」になって そこにあった。
すみに立てかけてある黄色い菊の花。
のこされた、ということを こうやってまた、身に刻み付けるのは、 かなしい。
どんなに何を思っても何をしても戻れないし還らないことだけれど だから、ただあっさりと文句ひとつ言えずに現実をかえりみて 本当のところ、を思い出し焼き付けなおすのは、深く深く焼きこんで現実にするのは なんだか、むしょうに、かなしくてつらいことだと思った。 なにも抗えずに、無力なままに、認めたくないものを認めてゆく過程というのは。
そんな日だった。 今日のこの、よく晴れたあおい空の下で、わたしの一日。 半かけのお月さんが青空にしろい姿をうつして わたしをみおくっていた。
わたしはまるでめくらめっぽうだ。 でも、生きていかなくちゃいけない。 そうおもった一瞬。 世界から消えたいのに、明日にでも消えたいのに、 矛盾しているようだけど、やっぱり、そうおもった一瞬。 白い壁にのびてゆく、すこやかにうつくしいみどりをみたとき。 プラタナスの木が散らす細かい細かい水のつぶをからだに受けたとき。
生と死のひっぱりっこ。
あしたはどっちが、勝つんだろう。
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