2002年06月09日(日) |
「強く儚いものたち」 |
うちに閉じこもり 痛みに泣き ぼうっとしたまま床にぺたりと座って 何をするでもなく 眠り 眠って
ふと気がつけば、そこは植物が繁茂するまいにちになっていました
あなたがいなくなったころ ただ無彩色にひろびろとしていた風景は あなたが骨になったころ うっすらと、点々と、緑に染まりはじめていて
そうして、今 そらが、ひと雨を降らせるたびに おそろしいくらいに世界の色は、膨張しています。
あなたのいない世界が すこしずつ、あるいは急激に 夏に向かって歩んでいることにあたしは気がつきたくなかったよ。 ほんの少し、でもあらゆるものにまんべんなくまぶされた罪悪感のようなもの。
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毎年のこと、
ある日、「トマトのにおい」がして、あたしは夏の訪れを知ります。 自転車を走らせる真夜中の道で、 電車を降り立ったホームで、 学校の門の脇にある、ねむの木の下で、
ちいさなちいさなころあたしが名づけた 「トマトのにおい」 夏のやってくる前駆形、かたちのない樹木からの手紙。 ひとはそれを、「草いきれ」、と呼ぶのかも知れませんが あたしは本当の呼び名を知りません。
ただ、むっと青くさく、懐かしく そしてうっすらと甘くあたしをすっぽりとつつみこむ、「トマトのにおい」。 足をとめて、空を見て、深くふかく息を吸い込むと かたちのない夏が、あたしのなかに少しずつ入ってきて、 つま先から少しずつ満たされていく。
それを
今年もあたしは、知ってしまいました。 真夜中の、交差点ちかくの、プラタナスの街路樹の横で、ふと 気がつけば、夏にとりまかれていた。 あなたの味わえない夏に。
どこも、くるしくない どこも、いたくない ただ、姿を見せずにのたりのたりと移り変わっていく季節が あたしのなかに、とろとろと、とっぷりと溜まり、 そうして、充満するまで。
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反魂草が、さきました。
今年もまた、律儀に、あのコスモスに似た細い茎と細い葉で とてつもなくあかるく笑うように揺らめくしぶとい黄色い花が 咲きました。
電車の窓からその黄色いかたまりを見つけてあたしは たいていの場合、ひとごみと圧迫感と不安にさいなまれて涙ぐんでいるあたしは ただっぴろい画用紙のまんなかに、空のきれはしを刷毛でひとぬりしたように コップいっぱいのつめたくてあまい水を、与えられたように
微笑みます。
どんなゆがんだ笑顔でも その一瞬だけは 黄色の花とあたしだけが せかいじゅうのすべてだから。
あたしは、微笑む。
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あたしは、あなたに、見せたかった。
いちめんにひろがる黄色い菜の花。 いちめんにひろがる薄桃色のれんげ。 いちめんにひろがる浅緑のねこじゃらし。
いちめんにひろがる いちめんにひろがる
つよくてはかなくて でも、毎年 くりかえし咲くことを忘れない、植物。
あなたと、手をつないで 動くもののなにもない でも、いのちであふれている場所に 耳に聞こえない音で湧きかえっている場所に あたし、立ってみたかった。
ことばは、ひとつも要らない。
ただ、手をつないで、黙って、そこに立ちつづけるだけ。
それだけでよかった。 それだけできっと 十分すぎるほど 十分だった。
なのに、ね。あたしは、ね。そのほんのぽっちりの時間さえ持たないで。
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反魂草が散っていきます。 その黄色い花びらをしおれさせて、色褪せて ぱらぱらと散って、誰の目にもつかなくなって 土になって そうして、緑の茎と糸のような葉とを、もっともっと茂らせる。
夏が、きます。
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「 一瞬の今を千秒にも生きて そのうれしさを 胸にきざもう 」
(サミュエル・マルシャーク作・林光作曲「森は生きている」より)
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たとえばあたしのまわりから だれも、だれひとりもが、いなくなったとしても この、はかなくて力強い風景を思い出すちからさえ、残っていたなら
あたしは。
生きのびていけるかもしれない。
傷だらけの腕でも。
醜く変色した脚でも。
薬まみれの体でも。
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読んでいただいてありがとうございました。
よろしかったら、お手紙をください。 ことばにならなければ、数字を、ください。 何か、もしも、感じていただけたなら、そのときは。どうぞ。
ひとしずくの水を降らせるみたいに、ことばや、数字が、 「あたしはここにいるよ」、そう教えてくれます。 それと同時に「あなたが今そこにいる」、そのことを、 あたしに教えてくれる。
たぶん、忘れたらいけないこと。「ひとりではないこと」。
ただ、泣いて、嘆いて、儚くなってしまうだけでは 反魂草の黄色い色も、みどりのトマトのにおいも からだじゅうを満たすことはできないような気が、します。
ただの小娘のざれごとです。
けれど。
このからだを維持して、 そしてまた、くりかえされる、強くて儚いもので満ちた 次の季節の風景に出会いつづけることが、 今はもう居ないサトくんからあたしが受け取った、ひとつの宿題なのだと あたしは思っています。
あなたの傍にゆくかわりに。
2002年、初夏 まなほ
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