2002年05月29日(水) |
雨の日の子守唄−6 「ちいさな翼、通院報告」 |
「小さな雨の日のクワームィ」
芽吹いたゴーヤ。 天までのびてたくさんの実をつけたなら 島に届く ね?
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朝、目を覚ましたら、 今日は、晴れていた。 少しつめたい風が吹いていて カーテンがふんわりふくれあがる。 初夏の日。
昨日、 病院の帰りに買ってきた元ちとせという南の島の女の子の、のびやかな声を 部屋いっぱいに満たして、聞くともなしに聞いていた。
(あたしは今ここにいるよ。まだここにいるよ。)
病院はわりと散々だった。 状態はいいのかわるいのかじぶんでよくわかりません、そうあたしは言って この一週間の話を、思い出し思い出し、ついばむように、話し、 あなたを見送ったことを話し、刃物に手を出さないよう努めていることを話し そしてその結果、飲むおくすりはまた増えた。 ルボックスという薄きいろの粒を、これから毎日あたしは 一日に6つずつ、飲まなければならないそうだ。
150mg。 処方量の限界。
これ以上は増やせません。 お医者は告げた。 そして84粒の薄きいろな粒々と42個の楕円形の白い錠剤を、あたしに渡した。 それから眠る前のお薬やなにかのいろいろを。
かえりみちは苦しかった。 体の中に飼っている不安とおびえと恐怖がこれ以上暴れ出さないように 自転車を駆った。鞭打つように駆けめぐった。 あたしはどこまででも走っていきたかった。
だけど風は吹いていたし、空はやっぱり、青かった。 泣くことを拒むくらいに青かった。
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あの日の帰り道、ちいさな十字架を買った。
この言葉の群れの中で、かみさま、とあたしは何度も繰り返したけれど それはたぶん、あたしだけのかみさまだと思う。 世界中の誰が信じているかみさまとも、きっと少しちがうと思う。
プロテスタントの大学を出たけれど キリスト教の神様と手をつないだことはなかった。 カトリックの教会は、美しいけれど怖かった。 痩せ細ったキリストの半分閉じられた眼があたしを見下ろしながら 朽ちかけた血を流しながらすべてを哀れんでいる。
プロテスタントの大学の中には、その哀しい目の姿はない。 十字架はすっきりとした姿をチャペルの前にあらわしていて 壁を埋めるパイプオルガンの音は高く高く響いた。 蝋燭のあかりに浮かぶチャペルの中。
きれいだった。
だけど
幾度か出席した礼拝で、 あたしは、ほんとうの祈りをささげることは、一度もなかった。 賛美歌はうたっても祈りはささげず、 ただ黙ってくちびるを閉じる。
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サトくんは、こころから祈れたのだろうか。 教えてくれた歌のさいごにかならず繰り返される しずかな「アーメン」というあの祈りのことばを 神様にことばを届けるためのキーワードを。 さいごのとき、あなたは何を思ったのだろうか。
あたしには、わからない。
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埼玉に住む89歳の祖母はクリスチャンで、 この五月、教会の人たちとアメリカに行った。 20年も前にお世話になった牧師さん夫妻に会うために。そしてお礼を言うために。 私たちに教会を作ってくれてありがとうございます それを伝えるために、飛行機に乗って海を渡って行った。
次はいつ会えるでしょうね、と言った祖母に、牧師さんの奥さんは それは天国でしょうね、とにっこり笑って言ったそうだ。
彼女たちはそれを信じてうたがわない。
そのことについて あたしは戦慄みたいなものをおぼえる。 羨みの気持ちとも、すこし、似ている。 絶対に揺らがない柱がこころの中に立っていること そのことについて。
そのようには、あたしは天国を信じないし神様のことも信じない。 小さなころから聞かされて育ったキリスト教の神様も、 仏教の神様もイスラム教の神様も信じることはせず、それほどのなじみはなく、 既成のどの神様も信じられず、でも、あたしはかみさまを信じている。 いろいろなかたちで芽吹く草の種や空の切れっぱしの中で。 たぶん。
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ちいさな 小指の先くらいの銀色の十字架には、 もっともっとちいさな、翼がついていた。
いつか。
いつでもいい。
このつばさがはばたいて、あなたを、 遠い空の向こうや海のむこうにある、 どこか、青くてうつくしくて仕方ないやさしい場所へ 導いてくれるといいと思う。 見守ってくれたらいいと思う。
そう願いながら、あたしは端っこの擦り切れかけたお財布を握りしめて その銀色のアクセサリーを、世界でひとつきりのお守りに変えた。
ちいさな翼。
今日の、晴れた朝。 遅刻しかけながら身支度のさいごに慌しくあたしの首にかけられた翼は、 折りたたまれた服の襟の間にまぎれるくらい、ちっぽけだった。
ちいさな翼。
いつか、いつか はばたいてね。
そうしてどこか遠いところへ ここでもなくどこでもない遠いところへ向かって まっすぐに銀色の光のひとすじになって飛んで あのひとに届けてね。
「あたしはここにいるよ。あなたを思っているよ。」
海の向こうのずっとずっと向こうの見えない島に、
届くかな。
届くかな。
届けられるかな。
胸の中に飼っている不安や恐怖や怯えが暴れ出しそうなとき、 あたしは傷跡だらけのこの左の手で、つばさをにぎりしめる。 力をこめて、それだけの力をあなたの中に注ぐことができたら、 もしかしたら、
あたしは飛べるかもしれない。
この腕に風を感じて。 このからだひとつで。
ちいさなつばさで。
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今日という日。7月いっぱいで図書館から首切られることほぼ決定した日。 その先にある日には何があるんだろう。 みじめさと居場所のなさに追い込まれて、 自分を切り刻むだろうか。それとも、
「何もないかも知れない。」
漠然とした闘い――ただただ、その暗がりに飲み込まれないように
どうか生きのびてください 生きのびられますように。
まなほ
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