みちる草紙

2005年05月11日(水) 何を見ても紋次郎を思い出す

徹夜で仕上げた経過観察レポートを携え、さいとうラビットクリニックを訪れた。

紋次郎の小さな異変に気付いた時、まっすぐここに連れて来ていたら
或いはもんは生きていたかも知れないという思いは、今でも拭えない。
いやせめて助からないにしても、もっと穏やかな死なせ方が出来た筈だと。
不幸にも、アタシの入院に先駆けて熱海に預けに行き、まだ元気な紋次郎を
チェックのつもりで小田原の病院に運んだのが、そもそもの誤りであったと。

アタシのわだかまりを察した院長は、うさぎを連れずに行ったにも拘らず
親切に対応してくれた。あたかも懺悔する者の述懐を聴く告解師のように。

『紋次郎は、めーさんのことが好きだったと思いますよ』

この言葉を聞いてこらえていた涙がほとばしり、嗚咽が漏れた。
そうだろうか。そんなことがあっていいものだろうか?
アタシは、もんの死期を早めたも同然なのに。

流れる雲を見ても、青々繁る木を見ても、5月にしては肌寒い風に吹かれてさえ
何故だろう、もんの想い出が絶え間なく去来し、新たな涙をわかせるのは。
いつも部屋にいて、留守番して待っているのが当たり前だったもん。
ちょこまか動くあの姿は、この先も変わらず見られるものだと思っていた。
こんな突然死ぬなんて、これっぽちも、一瞬も、考えたことすらなかった。

全身を麻痺させ、怯えた目で痙攣を繰り返すもんの表情が脳裏に食い込み
胸をえぐり続ける。どうせ助からないなら、あんなに引っ張りまわすのではなかった。
病院から病院へ、針を何度も突き刺され、死に際に限りない苦しみを与えてしまった。
最期にあんなむごい目に遭わせて、本当に可哀想なことをしてしまった。
自分を責めても責めても足りない。もん、ごめん。本当にごめん。
お前が生き返るなら、痛い手術を何十回受けても、喘息が一生治らなくても構わない。

何を祈ろうが、もんは死んでしまった。どこを探してももういない。もう決して帰ってこない。
あのかわいい目も耳もしっぽも、無惨に火に焼かれて消滅してしまった。
ケージの柵の間から、大騒ぎでアタシを呼ぶことは二度とない。
ほんの数日前に撮った動画を見ては、涙があとからあとから頬をつたい落ちる。

痛手の癒えぬまま、悲しい想い出を抱えたまま、アタシは13日に再び
湯河原の病院に入院する。2週間ものあいだ、何を思って過ごすのだろう。
病室から、一日に何度ももんの様子をメールで問い合わせることは、もうないのだ。

     
             息を引き取った直後のもん


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