みちる草紙

2005年04月23日(土) デモは踊る

去年のちょうど今頃は、足の手術を終え、ナースステーション隣の部屋のベッドにいた。
麻酔が切れ、痛み止めもさっぱり効果を見せない激痛に、顔を歪め呻き声を漏らしていた。

あれから1年。見れば怒涛の反日デモ一色の、ニュースや報道番組。

王妃ネフェルティティの塑像、その神々しい美に、うっとり溜息をついていたところへ
一転、日中首脳会談の様相の一端を漏れ聞き、心拍数上昇、鼻息が荒くなる。

にこにこ握手しに行ったのも、もう何十回目のしなくても良い“謝罪”を繰り返させられたのも
やっぱり日本の方だけなのか?今回、反省と詫びを入れるべきなのは一体どっちなんだ!
胡主席の盗人猛々しい傲岸不遜な態度を見るにつけ、臓腑が煮えたぎり沸騰せんばかり。
ちらっと目にしただけでこれだもの。会見内容の詳細はまだ分からないが
行く前に『謝罪や賠償を強くは要求しないつもりだ』などと言っていたから
結局またしても、あちらのペースで機嫌を取り結んだだけで終わったのだろう…。

『日本人は戦時中、中国を侵略し、とても悪いことをしました。
 だからきちんと謝罪をし、歴史を正しく認識しなければなりません。
 首相が靖国神社を参拝して中国人の感情を傷つけるのは良くないことです。
 今回のデモは、日本人の反省のない態度が引き起こしたものです』

アタシは、未だもって日本人自身がこのようなことを言い続ける心理を、甚だ奇怪に思う。
中国官製の、それこそ捏造で彩られた教科書で歴史を学んだ訳でもあるまいに。
太平洋戦争の経緯を様々な出典から紐解くほどに、我々がここまで責め続けられる
いわれはないという事実を、悉く“認識”するに至り、むしろ愕然としたくらいである。
“謝りましょう”を念仏のように唱える前に、与えられた教科書以外の歴史書を先ずは開き
検証してみるがいい。少なくとも、中国側の繰り出す多くの欺瞞に勘付かされる筈である。
金輪際、無用の詫びと施しを、領土を、国家の良心を、かの国に差し出すことは罷りならぬ。
彼らが狂気を剥き出しに憤り暴れる理由とは、これまで打てば引っ込むとばかり
侮り続けた金満日本が、遅きに失した目覚めに頭をもたげ始めたからに他ならない。

中国政府は、日本からの兆にのぼる援助金や再三にわたる公式謝罪の事実を
人民には一切知らせない。彼らの用意したシナリオに、はなから和解の文字がないからだ。
そしてまた、自国の教科書には、自らが行ったチベット大虐殺の事実を平然と隠蔽し
掲載せずにおきながら、厚顔にも日本の教科書への執拗な干渉は止めようとしない。
ことここに至って、中国が国家秩序を狡猾に保つため、ひたすら諸悪の根源とばかりに
矛先を向け吊るし上げる想定対象は、何が何でも“日本”でなければならないのである。
つまり、所謂歴史教科書問題ひとつを取ってみても、彼らの暴動の動機とは
鬼畜日本ありきの政策の下に構築された、反日狂想曲の調べとも呼ぶべきものである。
中国人民だけではない。目を醒まそうとしない日本人らも、言うなりに拍子を取りながら
進んでそれに続き、自分自身の生まれた国を、これでもかと愚弄し中傷し続けているのだ。  

因みに、現地の日本人が今どのような目に遭っているか、これ←はほんの一例である。


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