みちる草紙

2005年04月13日(水) 存在の耐えられない憤怒

あまり怒ることのない、バランス感覚に恵まれた人には、恐らく解し難いことと思いますが。

激昂し、激しい言葉が唇をついて迸っている時にも
醒めた眼差しのもう一人の自分が、怒り狂う自分を他人事のように凝視している。
まるで、魂が二つに分離してしまったかのような、奇妙な意識感覚。
ひとたび「ぐわぁーーーーっ」と怒りに燃えると、これを必ず覚えるのです。
その直後にまた必ずやってくる、グッタリへばりそうな虚脱感。
シャーマンから神懸りが抜けてバタリと失神するのに少し似ています。
その振幅には大きな開きがあり、テンションはまさに軸を挟んで両極端の差です。

これは何ぞや。何かがここぞと憑依して、アタシを激怒させているのか??
かつて誰かが言った、お前は瞬間湯沸かし器だと。

怒りというものは持続が難しい。間にインターバルをおいても、とにかく疲れます。
悲しみの感情の方が身体にも心にも比較的優しく、まだマシだと思えるほどです。
そう、怒れば怒るほど健康を損ない主を蝕んでゆく、それが怒り。分かってますって。
いったい何十年、こいつに梃子摺らされながら腐れ縁を保ってきたことか。

昨日の暴漢は、交番でデタラメの素性を書き、まんまと逃げおおせたようです。
命がけで捕まえて結局無罪放免か。甘いなぁアタシ。ズボラ警察を過信しちゃったよ。
だけどもう、何だか、怒り疲れてしまって、今は夢も見ずにゆっくり眠りたい気分です。
一時はゴジラのように火を噴いて怒る女だって、元をただせば生身なんですから。

はあ…。 ちくしょう!


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