みちる草紙

2005年04月11日(月) デモという名の祭典

中国は、国家権力も奨励する反日デモでたいそう賑わっているそうだ。
ニュースの映像を目にするたび、憤ろしさが沸々とあわ立つ思いがする。

今日をもって『日本は過去の罪を認め償いをしろ』とは、戦後60年間というもの
テレビを見たことも新聞を読んだこともないような、無知蒙昧の蛮族の寝言である。
統制が著しいかの国で、鬼畜日本思想一色で目眩ましされているのだから無理もないが。
これが、反日という宗教でしか国民の政治的コンセンサスを得ることがかなわぬ
成金途上国のスローガンであるという事実に、日本人も遅蒔きながら気付き始めた。
逆に言えば、日本人は中国人の愛国心をもう少し見習っても良い。
祖国に殉じた先人を貶める洗脳教育を改め、物乞い国家群の現状をこそ
教科書に赤裸々に綴るべきである。ひたすら与えるだけの偽りの友好など五の次だ。

日の丸が焼かれ大使館の車が潰され、自国企業が投石を受けるのを見れば見るほど
日本人に生まれたことへの誇りがいや増し、更に頭をもたげてくるのが不思議だ。
いや、少しの抗議の言葉すら持たない、日本の首相の気持ちこそ摩訶不思議だ。
国旗や君が代を公然と無視し、隣国の機嫌取りを執拗に教え込む狂信的な戦後教師たち。
中には修学旅行先の韓国で、教え子らに土下座を強要する例もあるという。
そして終戦記念日の靖国参拝は、恰も軍国礼賛と同義と称され、罪悪に等しいとまで。
珠玉の如き辞世の句を詠んだ学徒たちは、こんな子孫のために若い命を捨てたのか。

賭けても良いが、この先100年の長きに渡り、多額のODAを垂れ流し続けたとしても
連中が我が国を友好国と見なすことなど、決してあり得ない。
過去を許さぬ姿勢は即ち、金づるを半永久的に繋ぎ止める最も有効な方便だからである。
彼等は半永久的に、一片の恥も感謝もなく、濡れ手に粟のODAを当然の権利と嘯いて
貪り続けるのだろう。こんな腐れた連鎖は我々の世代で断ち切らねばならない。

これを即座に「右翼」と断じたい向きは、どうぞご随意に。
中韓にスピリットを投げ打つやつらの寝言より、広い世界の尺度の方がよほど気になる。
こんにち、諸外国が、他のアジア諸国が、件のデモをどう見るかが。


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