みちる草紙

2005年04月06日(水) 春爛漫

行き交う人が口々に『もう春だねぇ〜』と言い合うのを耳にする。
少し歩いただけで汗ばむ突然の陽気。途中、上着を脱がずにはいられないほど。
冷たい空気を求めて建物を出ても、外気との温度差を感じない。それほど暖かかった。
昨日はまだ蕾だった近所の保育園の桜の枝が、今日は一気にほころんでいた。
このまま雨に打たれることがなければ、週末は街中で満開の白い花を拝めるだろう。

読む本がなくなったので、紀伊国屋書店へ文庫本を仕入れに行った。
8冊で1ヶ月くらいは持つかな。この頃は文庫もいい値段で馬鹿にならない。
悪い癖であれもこれもと手に取るうちに、すぐ片手で持てる限界を超えた。重た…;
岩波からチェーホフのリクエスト復刊が何冊か出ており、旧仮名遣いが興味をそそるので
『サハリン島』上・下 と『決闘・妻』を買うことにする。
チェーホフと言えば、戯曲『桜の園』が有名であるが、厚い雪に閉ざされるおろしやの地でも
桜が春を告げるものらしい。しかしこの作品の中で桜は、古きよき時代の象徴としてしか
描かれない。内容は、昨今のニッポン放送株に絡む一連の流れを彷彿させる
世代交代の物語である。↑ちょっと例えがまずいな(-_-;)

寿命の短い桜は「今年も見ることが出来た」という、ひとつの節目を刻む花でもある。
まだそれほどの年でもない(筈)が、自分は死ぬまでに、あと何回つつがなく春を迎え
この花を愛でることになるのだろうという、感傷に似た思いに人を立ち至らせる。
西行法師は桜の頃に死にたいと言った。“桜花”と名の付いた特攻機もあった。
むせるような開花の絶唱も、吹雪の如く散りゆく花びらも、滅びの宿命そのままの凄烈な美。

今年はどこへ花を見に行こう。


 < 過去  INDEX  未来 >


[“Transient Portrait” HOME]

↑みちる草紙に1票
My追加