行き交う人が口々に『もう春だねぇ〜』と言い合うのを耳にする。 少し歩いただけで汗ばむ突然の陽気。途中、上着を脱がずにはいられないほど。 冷たい空気を求めて建物を出ても、外気との温度差を感じない。それほど暖かかった。 昨日はまだ蕾だった近所の保育園の桜の枝が、今日は一気にほころんでいた。 このまま雨に打たれることがなければ、週末は街中で満開の白い花を拝めるだろう。
読む本がなくなったので、紀伊国屋書店へ文庫本を仕入れに行った。 8冊で1ヶ月くらいは持つかな。この頃は文庫もいい値段で馬鹿にならない。 悪い癖であれもこれもと手に取るうちに、すぐ片手で持てる限界を超えた。重た…; 岩波からチェーホフのリクエスト復刊が何冊か出ており、旧仮名遣いが興味をそそるので 『サハリン島』上・下 と『決闘・妻』を買うことにする。 チェーホフと言えば、戯曲『桜の園』が有名であるが、厚い雪に閉ざされるおろしやの地でも 桜が春を告げるものらしい。しかしこの作品の中で桜は、古きよき時代の象徴としてしか 描かれない。内容は、昨今のニッポン放送株に絡む一連の流れを彷彿させる 世代交代の物語である。↑ちょっと例えがまずいな(-_-;)
寿命の短い桜は「今年も見ることが出来た」という、ひとつの節目を刻む花でもある。 まだそれほどの年でもない(筈)が、自分は死ぬまでに、あと何回つつがなく春を迎え この花を愛でることになるのだろうという、感傷に似た思いに人を立ち至らせる。 西行法師は桜の頃に死にたいと言った。“桜花”と名の付いた特攻機もあった。 むせるような開花の絶唱も、吹雪の如く散りゆく花びらも、滅びの宿命そのままの凄烈な美。
今年はどこへ花を見に行こう。
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