みちる草紙

2005年03月04日(金) 華岡青洲の妻

NHK金曜時代劇 『華岡青洲の妻』の最終回を見た。
実はこのドラマが放送されていることを知らず、偶然見たのは先週が初めてで
二度目の今日で終わってしまった。実に残念なことをしたと思い、悔やんでいる。

有吉佐和子の原作を読んだのは去年か一昨年だったから、それほど前ではない。
世界で初めて、全身麻酔による外科手術を成功させた日本人医師・華岡青洲の誕生は
賢妻、加恵の犠牲的精神なくしてはあり得なかった訳だが、この加恵という女性は
アタシを昔の女性に深く感服せしめる女たちの中でも、際立って偉い人であると
言わざるを得ない。
麻酔薬を完成させるために、我が身を人体実験に供して、遂には全盲となってしまう。
一体今の世に、夫のためにここまでの自己犠牲を払う妻が、一人でも居るだろうか?

それにしても、美貌の姑、於継と競うように夫の実験台になろうとしたというのは
果して史実なのか、有吉氏の創作なのか。
妻の献身もさることながら、この小説を読んでビビったのは
母親が息子に注ぐ愛情も、ここまで深い狂気を帯びるものなのかということだ。

加恵の小姑の、癌に侵された小陸が死ぬ前に言った言葉。

『私は嫁に行かなんだことを何よりの幸福やったと思うて死んで行くんやしてよし。
 私は見てましたえ。お母はんと、嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。
 なんという怖ろしい間柄やろうと思うてましたのよし。
 こないだもお母はんの法事で妹たちが寄ったとき、話す話が姑の悪口ばかり。
 云えば気が晴れるかと思うて、云わせるだけ云わせて聞き役してましたけども、
 女二人の争いはこの家だけのことやない。どこの家でもどろどろと巻き起り
 巻き返ししてますのやないの。嫁に行くことが、あんな泥沼にぬめりこむこと
 なのやったら、なんで婚礼に女は着飾って晴れをしますのやろ。
 長い振袖も富貴綿の厚い裾も翌日から黒い火が燃えつくようになるのにのし。
 於勝姉さんも私も似たような病気で死ぬのやけれども、なんぼ苦しんだかて
 嫂さんのような目にあうより楽なものやないかと思うくらいですよし』
『私の一生では嫁に行かなんだのが何に代え難い仕合せやったのやしてよし。
 嫁にも姑にもならいですんだのやもの』

うーむ。小陸の言葉は、アタシが普段から思っていることといみじくも合致しますのし(^_^;)
アタシもかつては溺愛された長男に嫁いだことがあったのだが、同居でないのを幸いに
於継と加恵のような、傍目を戦慄させるほどの愛憎劇は演じないで済んだ。
しかし、今一度結婚というものを躊躇する理由の一つは、まさに小陸の言葉の中にある。
アタシは加恵のように賢くも辛抱強くもないので、お姑とはきっと折り合えないだろうから。

ドラマについて言えば、絶世の美女である姑に扮した田中好子が適役であった。
(紀州言葉はもうひとつだったけれども)


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