ぼんやり目を覚ますと、カーテンの隙間から鈍色の光が洩れていた。 曇っているんだな。何時だろうと枕もとの時計を見れば、もう11時を過ぎている。 ゆっくり身体を起こすと肩から爪先までドンと重たく、動くたびギシギシ軋むようだ。 よく寝たのだろうが、取りとめもない夢ばかり見て、少々の余剰の眠りでは 一週間分の仕事の疲れがすっかり取れはしないものだと分かる。空腹感もない。
可燃ゴミを出す日であることを思い出し、うすら寒い部屋へ這い出て上着を引っかけた。 アパートの階段を降りきると、アタシの姿を見とめた一匹の野良猫が、ゴミ置き場から 走り去るところであった。烏に負けまいと、くさい袋を食い破っていたのだろう。 ふと、ゴミ袋の谷間に、痩せおとろえて毛の湿った、汚い子猫がいるのに気付いた。 近寄ってそばにゴミを置いても、逃げる様子もなくじっと蹲っている。 ただ荒い息をしながら、灰色の恐ろしい目でアタシをじっと見据えているのであった。 べっとり寝た毛並みや骨の浮き出た身体つきから、その子猫は飢えきっている上に 恐らく病気で、もう立ち上がって逃げ出す力も残っていないのだと思った。 振り返ると、さっき目の前を横切って行った猫が、少し先で様子を覗っている。 ついて来れない子をおいてその場を離れるしかなかった、親なのかも知れない。
アタシは自分の部屋に戻り、冷蔵庫を開けて何か適当な食べものはないかと探した。 ミルクが良かったのだが買いおきがない。ハムを挟んだ小さいパンが残っている。 それをリードペーパーにくるんでゴミ置き場に戻ると、もう子猫の姿がなかった。 道と駐車場を区切るブロック塀の角を、しょんぼり曲がって行く弱々しい後ろ姿。 後をついて行くと、子猫は車の下で、こちらを振り向くように見ている。 「おいで…おいで」しゃがんで手招きしたが、猫はその場を動こうとしない。 「ほら」紙を広げてパンを下に置いてみた。やはり近寄っては来ない。 5分ほどそうして待ったが、とうとうその子猫は車の陰から一歩も踏み出そうとはせず 縁の爛れたうつろな目を、恨めしそうにこちらへ向けるだけであった。
一瞬、その瀕死の生きものを、部屋へつれて帰ってやろうかと思った。 だが、早朝出かけ深夜に帰宅する一人きりの暮らしで、どこまで構ってやれるだろう。 そしてまた、その子猫のあまりの汚らしさに、たじろいだのも事実であった。 パンをそこへ置いて立ち去れば、或いは飛びついて貪り食ったかも知れないが そうでなければ、他所の家の駐車場にゴミを残して行くことになる。 アタシは諦めてパンをくるみ直し、そこを離れた。そうするしかなかった。
夕方から激しい雨が降り出した。秋の日はとっくに落ち、部屋にいてさえ肌寒い。 痩せた子猫のことが気にかかった。あの弱り方では、そう長くはもたないだろう。 この雨にはひとたまりもなく、今夜のうちにもどこかの軒下で息絶えてしまうであろう。
何年も前の凍てつく冬の朝、全身濡れそぼった哀れな姿の猫を見たことがある。 暗い空から今にも雪が落ちてきそうな、吐息もまっ白い煙に変わる寒い日で アタシは着膨れ、駅へと急ぎ足で向かう途中、その光景に出くわしたのであった。 そばの魚屋でホースを持った店主が、店先にジャージャーと水を打っていた。 ずぶ濡れの猫は雫を垂らし、痩せ細った身体を強張らせてトボトボ歩み去って行く。 ぞっとする思いで、猫に水を浴びせた男の顔を見た。それは平然としたものだった。
子牛はやがて食われるため、乳を取るため、皮を剥がれるために生まれてくる。 いずれ殺されるのであるが、貴重な資源、資産として死の前日まで手厚く養われる。 では野良猫は何だろう。彼らは人間の間で、飢え追い払われるために生まれてきたのか。 ゴミを漁り、雨に震え、車に轢かれ、疥癬に蝕まれて野垂れ死ぬ、ただそれだけのために。 天然記念物に指定されでもしない限り、野良の獣に法的な保護はない。 コンクリートとアスファルトに塗り固められた街で猫たちは生まれ、或いは主人に捨てられ それでも生きてゆこうと、乏しい餌を求めてその日一日を命からがら凌ぎきる。 人々が彼らに関わるのは、駆除する時と、路上にさらばえた骸を片付ける時である。
アタシは気力が衰えている時、そんな無駄なことをよく考える。
|