周囲で、友人知人たちは、老いも若きも俄に寿ラッシュである。 縁起を担いで、やれ6月の、ゾロ目の、何かの記念日のと 役所や式場が混む日というのは、昔から大体決まっているものだけれど… 特に最近になって、一体どうしたことかと思うほど。何さみんなして(ノ_ー、)
少女の頃「将来何になりたいか」と訊かれて「お嫁さん〜(@^▽^@)ノ♪」 と答える級友は少なくなかった。或いは、不動の人気を誇る職業が、保母さん だったことも事実。つまりアタシは、母性本能の塊みたいな友人らに囲まれて 成長したことになる。皆、そんなに良き妻良き母を夢見ていたというのか…?
強がる訳ではないが、お嫁さんになりたいと思ったことは、少なくとも子供の頃は 一度もない。死んでも他人に渡したくない人物の、アタシが妻に!とでも いうなら話は別だが、単なる「花嫁」は、何もわざわざなりたいと願うほどの そんなたいそうな「目標」でもないだろうと、子供心に思ったものだ。 女性が長じて人の妻となり母となるのは、ごく当たり前の、否応ない 宿命的な「成り行き」といったものだ(つまり誰でも必ずなれる)と感じていた。
小学時代の仲良しS美は、今では故郷で堂々3女の母となっている。 いつもグループのリーダーで、明るく人を逸らさない求心力を持っていたが 彼女は共働き家庭の一人っこで、鍵っこだった。アタシの家に遊びに来ては 実の姉に邪険にされる我が妹を、まるで自分の妹のようにかわいがる。 「メイ子ちゃんはいいな〜妹がいて。あたしも弟か妹が欲しいな♪」
彼女は間違いなく寂しがりやだったのだろう。がしかし、アタシとしては 小学生の分際で複数の男子高校生に、全くもの怖じせず媚び懐いてゆき 挙句、逆ナンをしかけ引き連れて歩くまでになるS美の早熟な社交性は 羨ましさを通り越して驚異…(-_-;) 現にアタシの母などは 「不良が伝染るからS美ちゃんと遊ぶな」とまで言い出す始末。 伝染るも何も、あれは真似しようとして出来るもんじゃないだろうが。
当時から数えてほぼ20年。S美は幸福を絵に描いたような家庭を築き アタシはご覧の通りである。斜に構え嘯いてたのがいけなかったんだろうか。 本当を言えば、根がグータラだから、仕事に生きる女になんかなりたい筈も なく、最低限を保証された生活の中での食っちゃ寝暮らしが永遠の夢。 結論。お嫁さんとは、ちゃんとなろうと思う者しかなれないものなのね(。_。)
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