2006年01月27日(金) |
チハラヒサシ・クボミノル |
千原Jr.こと千原浩史さんのDVD「−詩−05TOUR」を見ました。 自作の詩を自ら朗読するだけ、という シンプルなことこの上ないライブと、 ライブ開催都市間を車で移動する様子をおさめたもので、 オープニングトークで彼自身が言っていたとおり、 自分でおもしろいところを見つけて勝手に笑えという 性質のものなので、見る人を選ぶかもしれませんが、 私には非常に愉快な1枚でした。
その中で、「名前」という詩が披露されていました。 浩史(こうじ)さんは 「チハラっぽいが、コウジという感じではない」 とよく言われるのだそうです。 お友達が彼につけた名はヒサシだそうで、 そう言われると、そんな気がしてきます。 そんな感じの詩の中、 浩史さんのお兄様・靖史(せいじ)さんに至っては、 クボミノルさんなる、 全く原形をとどめていない名前をつけられていました。 それはそれで、なぜか納得させられます。
私事ですが、 長女も次女も総合病院の産科で産んだので、 1カ月健診は、同じ病院の小児科に、 指定された日に行きました。 つまり、出産日が近かった顔見知りの方ばかりで、 「まあ、大きくなりましたね、何カ月?(アホか)」ってなもんでしたが、 思い入れと工夫の詰まった赤ちゃんの名が 次々呼ばれていましたが、 どの子もまだ、名前とその姿が ぴったり合致していない感じがしました。
人の名前というのは、 大体どのくらいの年月を置けばしっくり来るものでしょうか。 かく言う我が家でも、今さらですが、 長女の名前と次女の名前が逆だったら、 もっとイメージに合っていたかもと思っているくらいです。
名前のイメージを決定するのに、 字面と音の響きという要素があります。 謙虚で分を知っている私は、 自分の名前(本名)の中に含まれる 麗々しい字を人に説明するのに、 何年たっても恥ずかしい思いをしています。 「珍しくもないが、そう多くもない」タイプの名で、 今まで小説やドラマでその役名だった人はというと、
姉の恋人を横取りする小悪魔的な娘、 男の言いなりになり傷つく女、 元彼との友人関係を保てる自立した女 喪服美人 ……といったところでした。
極端に不細工っぽい人はいないものの、 絶世の美女タイプもおりません。 考えてみたら、よっぽど誰もが納得の「記号」でない限り、 世の女性の大半の名は、そういうのものだし、 男性の名前もみんな、 成功しそう、イケメンになりそう、知性派っぽい ……そう言われればそんな気がする、 という程度の名前ばかりです。
かつてアン・シャーリーという少女は、 「バラがバラという名でなかったら、 あんなに芳しい香りはしない」 とか何とか言っていたと思いますが、 人の名前のイメージを決定するのは、 人以外の何物でもないのですな。 初恋の人の名前を娘につけようとしてモメるとか、 ○○っていうバカの知り合いがいたから、どんなバカかと思ったら、 彼は同じ名前なのにとても頭が切れてびっくりとか、 よく聞く話です。
「クボミノル・チハラヒサシ」という名前は、 本当にそちらの方がぴったり(な気がする)です。 これもまた、何だかんだいって 人為的なイメージづけのなせる技なのでしょう。
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