2006年01月23日(月) |
文学勘違い数珠つなぎ |
この年(37歳)になるまで、 ヘルマン・ヘッセの代表作「車輪の下(に)」を 「しゃりんのした」と読んでいましたが、 あれは「しゃりんのもと」が正しいのだと、 中学生の娘に教わりました。 「法の下(もと)の平等」などというときの、 あの読み方ですね。 なるほど、その方が意味が通るわ。 「白熊は南極にも北極にもいる」と思い込んでいたのが 実は誤りだったのというのを知ったとき(33歳)ほどの 羞恥はなかったものの、 「啓蒙される」という行為には、 喜びと恥ずかしさが漏れなく張りついてきます。
文学の勘違いつながりでは、 高校時代の同級生だったQ子を思い出します。 人物の特定を徹底的に避けるため、 絶対日本人には存在しないだろう イニシャルにしてあります。
当時からオタクっ気があって人見知りだった私にも、 気軽に声をかけてくれた、明るくて気さくな彼女は、 意外と言ってはナンですが、国文科志望で、 なかなか勉強熱心な子でした。
定期テスト直前、 勉強したことを整理するため、 クイズ感覚で問題を出し合ったりしていたら、 彼女の口から、こんな言葉が飛び出したものです。
「チンビ派の代表的な作家はだ〜れ?」
………チンビ派って何だ?私が不勉強なのか? いろいろ考え、答えあぐねていると 何しろ、何一ついい答えが思い浮かばずで
「ブー、時間切れ!谷崎とか永井荷風とかです」
ああ、耽美(たんび)派?と私が言おうとした矢先、
だめじゃん、△△っちゃん※。 チンビ派ぐらい押さえておかなきゃ。 きっと入試にも出るよ〜。チンビ派」 ※カジュアルなQ子がカジュアルにつけた私の呼称。 彼女以外の誰も、その呼び方をしてはしなかった。 △△に入るのは、私の当時の姓
国文科志望の彼女の後々を思えば、 僣越ながら、ここで私が訂正すべき誤りだったことは 十分わかっていますが、 この短時間で、三連発もされてしまうと、 タイミングも失おうというものです。 気の小さい私は、
「うん、勉強し直すよ」
とか何とか返事をするのがやっとでした。
Q子とは卒業以来、会っておりません。 正直、入試の結果がどうだったかどころか どこの大学を受験したかも知らないほどなのですが、 今でも「ちんび派」だと思っていたらどうしよう…と 人ごとながら、たまに心配になります。
救いといえば、 「やざきじゅんいちろう」とか 「ながいにふう」とは言っていなかったことです。
数珠つなぎ、という割に玉二つしか見つからず、 いまいちオチのない話になってしまいましたが、 また何かあれば、つないでいきたいと思います。
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