ぼんやり日記
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2002年07月22日(月) 息も絶え絶え / 夏休みの思い出

夏は暑いのはわかっている。
毎年わかりきっていることなのだけど。

つらい。耐えきれるだろうか。
子供の頃も暑いと思ったけれど、そして一番暑苦しい時代であった
中高校時代も、クーラーなんてどこにもかかっていなかったから
汗だくだくで毎日を過ごしていたはずなのに。
それでもあの頃、耐えることができたのは一重に
“若かった”からだろうか。くく。

ああ。暑いのに海へ行く人。
私は泳げないから海にはせいぜいお腹くらいまでしか浸かれない。
暑いだけ(笑)

暑いのにプールへ行く人。
子供のために意を決して連れて行くけれど、本当に苦しい。
プールから上がって帰る時のシャワーもいやだ。
お水をかぶるなんて、怖くてできない。
どうしてみんな平気で「きゃあ、つべたい〜」とか言いながら
さっぱりした顔でシャワー室から出てくるのだろう。

で、暴れる子ども達を叱咤激励してやっとのこと着替えて出てくると・・・・
炎天下、自転車で帰るのだ。
これで帰宅後、使い物にならない、かあさん一丁できあがり(笑)

せっかくの夏休み、子供と一緒にあちこちお出かけしたい。
でも、朝、起きるまでの戦いに何とか勝利すると、すでに疲労困憊だ。
もともと低血圧なので、朝、爽やかに目覚めるという経験が乏しいから
「爽やか朝幻想」は(なんだそりゃ)持ってないが、
それでも真夏の朝は、やっかいだ。

照りつける日差し。
朝っぱらからわんわん鳴いていた(TV音声が格段に大きくなるのは
彼らのせいだ)せみだって、昼前にはぴたっと止む。
彼らだって暑いんだろう。

でも私はせみじゃないから暑いからといって買い物に行かない
わけにいかない。
スーパーも10時からしか開かない。
10時といえば、すっかり太陽くんが出来上がっている時間帯だ。

どこか近所の、それなりに鮮度の保証できるお店で、
朝の7時くらいからオープンしているところないだろうか。
多少割高になっても行きます!

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暑いつながりでもう一つ。

ここのところ、新聞のコラム等で続けざまに「夏休み」についての
文章を読んだ。

一つは「少年時代といえば、夏休みに集約されるのではあるまいか」
もう一つは「麦わら帽子の夏休みの思い出は現在の子にも有効か」

それぞれの主旨についてはともかく、これらを読んで感じたことは
「夏休み」というのは歓迎され、少なからず良き思い出のあるもの
と一般的には認識されているということだ。

夏休みって、良いことあったかなあ??
暑かっただけのような気がする。
どうも私は子供の頃からふぬけであったのだろう。

もちろんそれなりに、虫を捕まえたり、観察したり、
今でもその頃の草いきれや虫の姿を思い出すことができる。
長い時間、そうやって私は一人で虫と遊んでいた。
猫とも遊んだ。犬とも遊んだ。
友達とは・・・・少しは遊んだっけ?

それらは何物にも代え難く、暑い夏のおかげともいえる。
しかし、別に夏休みだからそれらを実行出来たわけではなく、
普段の時でも、いつでもそうやって遊んでいたのだったよなあ。

「学校は休みです。充実した楽しい時を過ごしてください」
と言われながら、自由研究(または自由工作)と絵2枚、
読書感想文、なつやすみのとも、絵日記その他の宿題を
ぽんと出される一学期の終了日は、おっくうな夏休みを
予感させるに十分だった。

これらの宿題は小学校6年間、一度たりとも減免されることなく続いた。
私は夏休み当初から、工作をどうしようと思い悩み、
苦手な絵を描くのに苦しみ抜き、結局、夏休み後半まで
この重荷を背負いながら8月末にやっとこさ終えるという、
ストレスの多い40日間を過ごした。

これだけ苦しめられて、どうして楽しい夏休み、なんて思える?

今思うと、嫌なことは出来に関係なく、さっさと仕上げてしまえばよかった。
ええ私は工作も絵も苦手です。
この程度の出来で満足ですわ、ほっほっほ。

そうだ、そう言えばよかったんだ。ああもったいない。

さて、我が家の長女は現役小学生。
私の頃と比べると宿題も多くない。
午前中は小学校のプールと校内学童保育へ行き、
午後からは適当に友達や次女と、前の公園で遊ぶ。
わりに充実した毎日を送っているようだ。

でも宿題は7月中に済ませてしまってね。
かあさんは手伝わないからね!(←去年、手伝わされたヤツ)


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