『対岸の彼女』 角田光代 (文藝春秋) - 2005年01月31日(月)
あああ、今の話聞いて、私の結婚願望、確実に七十パーセント減った。こうして結婚しない、子ども産まない女が増えんのよ。少子化の元凶は働く女じゃなくて、幸せな主婦の愚痴だね 直木賞受賞作品。現代に生きる女性必読の書である。 角田作品の良い読者ではない私であるが、まず読後の率直な感想として“とっても気配りの出来る作家”であると強く感じた。 “恋愛小説”の名手である角田さんが本作のような“友情小説”で直木賞を受賞したのは嬉しい限りである。 昨年ヒットした『負け犬の遠吠え』は、30代以上・独身・子なし女性を“負け犬”という名で呼び、女性の複雑な心理面を見事に観察したエッセイであったが、一方、本作はフィクションである。 角田さんの凄い所はフィクションで描き切れる極限のところまで到達している点である。 前述した『負け犬〜』は滑稽さも混ぜ合わせて語り、いわば“負け犬”に属する読者にエールを贈ってるのであるが、本作の主題はもっと深くて前向きである。 本作はどちらかと言えば、既婚者は独身者に対して、独身者は既婚者に対してそれぞれお互いの認識を深めるのに一役を買っているような気がする。 少し残念なのは本作を販売するにあたり、勝ち犬・負け犬という言葉が氾濫して使われている点である。 出版社の意図なのであろうか・・・ もちろん対照的な2人を描写することにより、本作がより読者にとって入り込みやすくされている点は否めない。 しかしながら、角田さんの意図とはかなりずれているような気がする。 実際、読んでみて葵が負け犬で、小夜子が勝ち犬だとは思わない。 本作には読まれた方なら誰でも認識できるであろう主題がある。 価値観の多様化しつつある現代において忘れがちな“真の友情”の大切さである。 物語は独身者である“葵”の過去(主に高校時代)と既婚者である“小夜子”の現在が交互に描かれる。 2人の共通点は人づき合いが苦手な点である。 現代においては葵と小夜子は同じ大学出身で30代半ばの設定。 専業主婦に疲れた小夜子は3歳の娘を預け、葵の経営する旅行会社(の中のハウスクリーニング部門)にて働くようになる。 物語の一番のキーパーソンは葵の高校時代の親友である“ナナコ”。 誰もが感じるのは過去のナナコと葵との関係が現在の葵と小夜子との関係に非常に似通っている点。 本作は読者(ここでは女性読者と限定しよう)の過去・・・それも人生において最も多感な時期の心の葛藤をあぶり出している。 登場人物と同年代の女性が読まれたら、過ぎ去った過去ではあるが、リアルにこの小説で語られているシーンが甦ってくるのであろう。 読者は否応なしに心を痛めつつも“自分の現実を直視せずにはいられない” 男性読者の私が客観的に見て、全体を通してやはり女性世界特有の優越感と劣等感をとっても的確に描写してくれている点は見事だと思う。 読者は本作にて学ぶべき点がある。 たとえば、わたしたちが生きていて、“ああ、あの時もう少し勇気を持って行動すれば良かった”と思うことがあろう。 作中の2人(葵&小夜子)が、読者に代わって演じてくれていると言えよう。 年齢を重ねると人間って変化していくものである。 傷つくのを恐れてはいけない。 “対岸”を渡る勇気さえあれば明日が開ける! 性別問わずとっても普遍的なことであると捉えたく思う。 “人生に勝ち犬も、負け犬もない”・・・出版社の意図とは逆行してるかもしれないが、角田さんの最も伝えたかったのはこの点であると私は思っている。 読後はたしてあなたは対岸で誰の姿を見るであろうか? 小夜子?葵?それともナナコ? いや、きっと3人とも待ち構えてくれているのであろうか・・・ 心を震わせながらも、読書を終えた満足感が満喫できるこの瞬間。 この切ない気持ちをいつまでも忘れたくないと強く思う。 そのためには本作のページをめくる事から始めなければならない。 人は誰しも年齢を重ねる。 本作は年齢を重ねるにつれ、時には忘れがちになる、人生における“希望”を思い起こさせてくれることが出来る。 本作を傑作と言わずしてどの作品を傑作と言えよう。 評価10点。超オススメ 2005年12冊目 ...
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