『憂き世店 −松前藩士物語』 宇江佐真理 (朝日新聞社) - 2004年12月08日(水)
本作は今年刊行された中編集『桜花を見た』に収められている「夷酋列像」のサイドストーリーとなっている。 タイトルからは松前(北海道)を舞台と想像していたが、なんと舞台は宇江佐さんの十八番である江戸なのである。 1807年、陸奥国梁川にお国替えとなった蝦夷松前藩。 家臣で江戸詰めであった相田総八郎はリストラされ浪人となる。 妻であるなみは兄と梁川に住むが兄嫁に邪魔者扱いにされた為、夫のいる江戸に向かう。 物語は、江戸で奇跡的に再会した夫婦の絆が強まっていく姿を裏店に住むの人々との心温まる触れ合いを通して描かれる。 本作は宇江佐さんの作品の中では地味めなものとなっている。 主人公のなみがしっかりものであるという(ほとんど感情を露わにしない)のも一因であろう。 しっとり感を強調した作品となっているので、インパクトとしては弱いかもしれないが、人と人との繋がりの重要性、あるいはつつましく生きることの素晴らしさを少しでも感じ取れたらいいのかもしれない。 個人的にはやはりなみが総八郎の子を身ごもるところの話が1番良かったかな。 しかしながら他作品で登場する数々のユニークなあるいは改心するようなキャラの人物は登場しない。 例えば、とん七、おもん、お米・・・この物語においては個性的なキャラ3人衆だと思うのだが、彼らのことをもっと掘り下げて書いてほしかったなと思う。 どうしても帰封を叶えたいという夢を描かなければいけなかったので、寄道出来なかったのかなとは思うのだが・・・ でも読者って贅沢なんですよね(苦笑) あと、最後は世話になった裏店の人と一緒に生きるという選択はなかったのだろうか? “歴史小説の使命”で片付けて欲しくないような気もした。 きっと宇江佐さんにとっては思い入れの強い作品なんでしょうが・・・ そういう意味合いにおいては本当に評価の分かれる作品であると言えよう。 私は、微笑ましいなかにも切なさが目立った作品であったような気がする。 人が生きていくのは切ないことだと、なみは思う。自分も切ない。総八郎も切ない。いや、この裏店も、その周りも切ない。切ないから、せめて今を必死で生きなければと思う。 本作を読んで改めて感じたことある。 “宇江佐真理の作品は背伸びせずに読める”ということである。 “人と人との温まる会話”を描かせたら天下一品である。 フィクションの域を越えているといっても過言ではなかろう。 現代人にも通じるという点では、私たちは過去を見習わなければならない。 ただ本作に関しては、まとまりすぎているのが欠点でもあるように見受けれた。 そのあたりの微妙な点は、私の稚拙な文章では表現できないのは残念である。 もはや宇江佐さんのライバルは宇江佐真理さんの過去の作品なのかもしれない。 それだけ宇江佐作品のクオリティが高いということの証であろう。 “人生を謳う作家”、宇江佐真理の挑戦はまだまだ続く・・・ 評価8点 2004年110冊目 ...
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