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渡辺やよい先生のサイトの日記にて すでに売られてしまった生原稿のリストが 発表されています。 「日々是無事」です。 http://www02.so-net.ne.jp/~yayoi/
このリストを見ただけでも これだけの原稿が持ち込まれて 不審に思わない『専門店』があるのですね。 たくさんの漫画家の原稿 それがひとつの出版社のもの。 それでもおかしいともおもわない『専門店』 知らなかったと言張れる 「善意の第三者」である『専門店』
大島やすいち先生の奥様のサイトの日記「ひとり言」でも 詳しい経緯が書かれています。 なくなった原稿が売られていたかどうかがわからないため 一段と動きがとれなくなっているそうです。 なにか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら メールなどで教えてあげて下さい。 http://www.k-reiko.jp/
漫画関係でない多くの方に 生原稿が漫画家にとってどういうものか 説明するのは ほんとうに難しいですのよ。 確かに よく子供に例えますが、誤解も呼びやすいです。 なんなくわかって下さる方もいらっしゃいますが どうしてもピンとこない方も。
多くの人がわかりやすいのは ひとつは 「原稿がある限り、いつかまた本になって その原稿が利益を生む可能性がある」財産としての理解。 もうひとつは 「日本が世界に誇れる文化のひとつ」という 文化的価値としての理解。
世の中が認める名作であれば 上の二つでわかりやすいと思いますが、 はずれてしまったら?
どこの誰も認めない作品の生原稿には 価値がないと言われて終わっちゃうのかしら?
今回に限らず、 名のある漫画家も 名もない漫画家も 実は同じ思いで 原稿が帰ってくるように願っているんだと思います。
たとえば なくなったお母さんが大事にしていた 形見の品。 ある人の形見は安物のブローチで ある人の形見は高価なダイヤのブローチ。 確かに金銭的価値は違います。
けれど どちらの人にとっても この世でただひとつの かけがえのない物であるという思いは 同じものだと思うの。
ダイヤの形見ブローチを持っている人も それが「ダイヤ」だから大事なのではないのです。
その人にとって お金ではかれない価値があるもの、 というのが この世にはありますわよね。
今回 まんだらけの社長が目安箱でおっしゃっていた 「松本零士先生方式」というのがなんなのか 気になっていましたが ひとつ これかしらと思う情報がありました。 http://www.ag.wakwak.com/~lay/aniota/
松本零士先生は ご自分でオークションに出向き ご自分の原稿を落札されたり 落札者と直接交渉なさったりしたそうです。
それが 日本の漫画文化を担っている 「漫画専門古書店」のおやじ……じゃなくて、 あるじが 「漫画家の皆さんは感情的になっているから 受け入れられないでしょうね」とおっしゃる 『一番良い方法』なのでしょうか。
感情的じゃない人まで 感情的になっちゃいそうな気がするのは あたくしの気のせいでしょうか?
もしそれがダイヤのブローチなら 売り値も高価になるでしょう。 その高額の品物を落とすだけの財力がないなら 諦めろ、と。 安物だったとしても その値段すら払えないような身分だったら それも諦めろ、と。
「作者本人が返して欲しいと言ったものは お返ししています」とおっしゃっていましたが 売り値で買ってもらう事を 返す とは 普通言いません、社長。 それは 売る と言うのよ。 もし 買い取りした値段を作者に払ってもらうのなら まだ「返した」という言葉は使えます。
あたくしは 今 かけがえのない形見を取られてしまった立場の 漫画家としての気持ち と 今回の被害にあわれた先生方のファンとして その作品群をもう見られないのかと言うくやしさ と ふたつの理由でアタマに来ているので とっても疲れます。
御本人たちの疲労もいかばかりかと思います。
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