Kyoto Sanga Sketch Book
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2005年03月02日(水) |
天皇杯のある試合〜プロとアマの狭間で watching them (with my kitten) |
去年手慰みに書いた、サンガと関係ないものを。
生後2ヶ月過ぎの仔猫をひきとりました。最近亡くなった奴の後継ぎ。もう4代目かな。三毛とペルシア猫のハーフの彼女には古風で国籍を超えた名をつけたくて、亡くなった釈迦を囲んだ樹、そして旧約聖書のアラブ人とヘブライ人を重ねる女性から名をとった。やはり、あるジャズシンガーの名もちょっとは頭に。
誰でも多分、忘れてかけていた選手を何かのきっかけで思い出す事がある。 その選手のことはもう記憶の彼方だった。
天皇杯の映像。彼女はブラウン管の前に座った。画面の中には白い小さい点のようなボール。小さな短い二本の前足を精一杯伸ばしている。手前のライン際では、小さい手でペシペシ、と軽く叩く。ボールが画面から消えると振り返り、濁音で鳴いて不満を訴える。
ついに彼女は両前足をあげて、万歳のかっこうでジャンプ。 実況の絶叫。ゴールの瞬間だった。
J1クラブを下した。JFL選手達が終了間際の決勝弾に喜んで絡み合う。 貴之も小川もいる。 あまりにドラマチックな映像の中、 その固まりの中心に短く刈った髪の選手が。 見覚えがある。そこに映し出された名前にも。
記憶を辿った。 清々しい雰囲気は残したまま信じられないぐらい逞しくなっていた。
あれは数年前のJFLの試合。三ツ沢の階段の所、坊主頭の少年が両親にはさまれて立っていた。私の知人、そのチームのサポーターやスタッフのお姉さん達に囲まれた(ちなみにその時私が最年少)。ご両親の、宜しくお願いします、に、少しはにかむ高校生。
J2昇格が決まったその新しいクラブに、少年はJリーガーとして入団が内定していた。
しかし、その後実際に彼のプレーを見たことはほとんどない。彼はJ2で10番をもらいながら出場機会に恵まれず、結局JFLに完全移籍。そんなことも後で知った。23歳になっていた。 今、職業欄には「スーパー勤務」。彼はもう一度Jリーガーになる。
J2にいると、J1の中にいる時以上に選手のカテゴリーを越えた移動に敏感になってしまった。 選手たちは個人的な条件の中、より良い環境を求めていろんなカテゴリー、クラブに動く。 個性豊かな一つ一つのクラブ、その中を泳ぐように選手たちは移動する。 カテの区分は時に大きな意味を持たなくなる。(奇麗事だけではないけど)
お帰り。正美君。
サッカーを見始めた当初のように、いろんなゲームは見れない。 正直、興味を失っているのも確か。 気になる試合はビデオにとっておいて、 良くて暇なときに何かしながらちょっと流したり。彼女の方が熱心かも。
彼女の顔を覗き込む。「で、正美君はどんな選手やったん?」 子猫はまだテレビの前に、ちょこんと座って見ている。よく動くボールが好きらしい。 来年京都の動かない球を彼女に見せるわけにはいかないなぁ。
2005年元旦。優勝は若い力の東京V。 そしてJ2昇格目前のJFLアマチュアクラブ「ザスパ草津」が 大旋風を巻き起こした年の天皇杯。 (この試合は一番ドラマチックだった横浜マリノス戦の一つ前のもの)
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