彼女を初めて見たのはまだ物心ついたばかりの幼少期だった。彼女と初めて逢ったのはそれから何十年も経った頃だった。
「朽木、白哉」
名を呼ばれて振り返る。その声を私は知らなかったけれど予想はついていた、なぜならばそれは誰よりも私の心を震わせたからだ、あの方だ、と思った。そしてそれは真実だった。
「くん、だね」 「・・・はい」
後付けの言葉と春の風、流されてたなびく艶々しい黒髪、あの日屋敷の窓から覗いた時の面影を残しつつもよりあでやかで神々しい佇まいに目を留める。窓の外では今目にするよりも髪の短い彼女が目を細めて笑っていた、やはり透り抜けるは春の風、桜の舞い狂う庭に浮かぶ黒髪と紅梅色の着物と真白の肌、彼女の手を握るのは
「こうやって差し向かうのは初めてだね、私は・・・」 「存じております、清城燐音様」 「ああ、知っていたの」 「勿論、縁続きでもございますし」 「そう、亡きお父上にはそのよしみで随分よくして頂いたものだよ、君と正式に対面する機会には恵まれなかったが、話はよく」 「私も父から話は聞き及んでおりました、近々こちらからご挨拶にと思っておりましたものを、誠に申し訳なく、」 「そう硬くならずとも、まあ跡目を継いで間もないから気を張るのも分かるが」
はは、と笑って彼女は一歩足を進める、それだけの動きに心臓を掴まれる自分は情けないのか、しかしそれならば私の心臓は彼女のものだから仕方がない、あの日からずっと掴まれたままなのだ、どうしようもない。遅すぎるこの対面は驚異的な破壊力を以って身体の内側を殴打する、それは罪であり罰を与えられるべき行為であるが裁く者の誰もいない暗幕の裏の出来事であった。
「今日は、君に辞令を持ってきたんだ」 「辞令、と申しますと、護挺十三番隊の」 「ああ、君を零番隊の副隊長に、と」 「零番隊、とは・・・?護挺十三番隊の機関なのですか?」 「本年度を以って創立される新しい機関だよ、仕事としては、そうだな、各隊任務時に起こり得る緊急事態の処理補助、刑軍任務補助、まあ主にはそんなところで・・・」 「・・・なるほど」
懐から辞令と書かれた書面を取り出して広げてみせる、零番隊とは初めて聞く名であったが補助的な役割を負った機関であるというなら、それは若輩にして朽木家の当主となった私へのあてつけなのかそれとも力量を測るという試案なのか、どちらにしろ気分の好いものではなかった、彼女がそれを伝えたということも鉛のごとく肺に落ちる。一定の距離を保たんとするは神の意向か、女神の意思か。
(何故彼女なのか)
「しかしまあ、副官には別の任務がくっついてくるんだ、何だか分かるかい?」 「さあ・・・検討もつきませんが」 「力を蓄えることだ、遠からん将来他隊の上に立つに相応しい」 「・・・(力・・・)」 「そう、それから拙いながらも私がそれを先導する役に与ることになってね」 「と、仰いますと、」 「この度零番隊隊長に就任することになったんだよ、そしてその副官が君だ」 「!」
春の風、そう春の風は気紛れに私の視界を塗りかえる。あの日私は彼女を見止めて桜の花の色を知りその指先に触れる父の手を見て諦観に似た世界を知った、そして今、この瞬間に駆け抜けるのは鮮やかな紅梅色の美しさだ、しかしそれは紅梅とは名ばかりの桜の花だったやもしれない。
「なに落胆するまい、零番隊には長居することはないだろうから」 「いえ落胆などと、そのようなことは」 「あら、そう?」 「初任に加え未だ拙き身の上ではございますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます」
頭を深く下げるといいよ、上げてと声がかかりゆっくりと顔を上げた、何となく不安感が襲ったのだった、それは予感であり予想ではない。すると伸びた白い腕が私の頭に触れた。
「はい、よろしく」
彼女が微笑むと止んでいた風が緩やかに吹き抜ける、いや止まっていたのは私の方かもしれなかった、動き始めんとする視界の流れに圧倒されて上手く動けない反面、脳は巻き戻した記憶を光速で回していた。彼女の手を握った父は死んだ、私は霊術院を卒業する時を迎え当主になり窓の外で彼女と出逢った、そして今一度春風が透り抜けた。それだけのことなのだった。
而して私は自然と抹殺していた、美しい紅梅色に潜む真紅とそれを欲する一つまみの感情、肥大する予感、私は抹殺していた。
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