selenographic map
DiaryINDEXpastwill


2003年05月12日(月) 身体だけの関係とか

 そういうので十分なんじゃないかと思った。
 電話越しに息遣いを聞いているだけで己は感じる。自分で触れるということのその現実感よりも、妄想の広がる範囲のある目を閉じた世界の方が快楽を持っている。閉じられた目のその奥に己は[姿]を思い浮かべることが出来なくて、それでも身体は反応する。
 現実感のある、生々しい自分の指は己を醒めさせるだけで一向に身体は熱くならない。卑猥な言葉も己を醒めさせるだけだし、馬鹿な子供とかその辺の男向けの雑誌で使われているような言葉も嘲笑いたくなる。少し切ない位の吐息まじりに囁く声の方が何倍も刺激的だ。

 それにしてもやはり己は彼を幸福に出来なくて、その上己自身の幸福すら手に出来ないのではないかと思う。
 己は幸福にされたいとは思わない。幸福は求める物であって与えられる物ではなく、きっと己は与えられたそれに満足できないまま、結局幸福ではない。そうなるよりは他人を踏み台にして、そうしてはいけない人を踏みつけてそれでも己自身で求めていく方がいい。それに己が求めるものなんてそう大したものじゃない。生きていることに苦痛を感じなくて済むだけの何かが欲しい。たったそれだけも己で満たすことの出来ない人間が誰かを幸福になんて出来ないだろうから。


 嫁に欲しいって云ったことがあると思う。受けてくれたら本気にとっても構わないと思って己はいつだって言葉を発している。それでもいつだって本気かどうか分からないと云われて、傷ついたり怒らないでいられるほど己は未だ大人になれない。


yue |MAIL

My追加