KENの日記
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2004年01月07日(水) メードの世話

今日は2004年始めての満月ポヤデイです。会社が休みなので、メードのシータの荷物を彼女の実家まで運びました。私の帰国後、彼女の就職先が決まっていないことに加えて、私の炊事用品などをあげた関係で、荷物が大分増えてしまったので、私の運転で実家(と友人の家)まで運んだでした。

シータの就職先ですが、コロンボに住んでいる三人の日本人の方から問い合わせが来ているのです。私が帰ってしまうと彼女が失業してしまうので、日本人会の掲示板等で広告したところ、三人の方から照会が来ています。今シータを紹介して条件面などを個別に交渉中なのです。一番条件の良い方にと思っています。

彼女の実家はマトガマという町の郊外のゴムのプランテーションです。9時にコロンボを出発して約2時間かかりました。

シータの実家に行く前に途中の「ワッドア」のシータの友達の家にも寄って荷物を少し降ろしました。この友人は足が悪くて松葉杖が必要なのですが、とても明るくてシータととても中が良いのです。しかし、彼女の家はとても貧しくて、シータはしばしば自分の給料から何かを買ってプレゼントしていたのでした。私の必要なくなった台所用品の一部を置いてきたようです。彼女の家は、羊、鶏、猫が家族同様に暮らしています。家の周り野原には犬・豚が走り回っています。

マトガマへは、コロンボ南部のカルタラという町から、内陸に入っていきます。マトガマ付近はゴムのプランテーションがたくさん残っているようです。シータの実家はそんなゴムのプランテーションの中にあります。プランテーションで働く人達(ゴムの樹液を集めて回る人達)が集団で長屋のような宿舎に住んでいるのです。家賃は非常に安いようですが、山の中なので、勿論電気はきていません。テレビのアンテナのある家が一軒ありましたが、多分バッテリーで見ているはず。とにかく貧しい人達が住んでいます。

私達が行くと近所の人達が集まってきました。日本人がここに来ることは、まずありません。シータはここには、シータのおばあさんとおかあさんが住んでいます。ここでシータの荷物を全部降ろしてコロンボに引き返しました。12時過ぎに引き返したのですが、昼食を食べる場所を見つけることができず、結局コロンボに戻って昼食を取りました。

この日の夕食は、Dr.シーバラトナムの家に呼ばれました。というのも日本帰国前に必ず妻を連れてくるように言われていたのでした。今日が唯一のチャンスだったのです。この日はドクターの家に他のお客様も来ていました。もちろん「IMAI」さんもいました。昨日の「シンガポール航空まぐろ」、「のり」、「わさび」が残っていたので、これをもっていって再び「巻き寿司」を食べました。でもスリランカの人達はやはり辛いカレーの方に手が延びていました。

ドクターとスーパにしっかりお別れをしてきました。




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