KENの日記
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2003年11月02日(日) 貴重な夕食会

今日日曜は、昨日までのコンサート(練習・本番)の疲れが残っていていたので、宿舎でのんびりしました。午前中に少し泳いで、昼ご飯にビール小瓶を飲み、昨日の反省のためにチャイコフスキーの交響曲第5番(ゲルギエフ・ウイーンフィル)をききました。三楽章あたりから少しウトウトしてしまいました。


シンフォニーなどの大編成の曲だと、音楽を実際に演奏するのと、聴衆として聞くのとでは全く状況が異なります。正直言って聴衆として聞くほうが音楽全体を捉えられて感動も大きいみたい。演奏していると自分のパートことで精一杯になってしまって全体の音楽を聞く余裕がないのです。


それではいけないと、自分のテクニックでは着いていけないところは、キチンとあきらめて、無理をせずに音楽を聞こうと試みるのですがつい無理をしてしまったり、自分のパートばかりに集中してしまうのです。


例えば、ニ楽章の冒頭では、ホルンの素晴らしいソロを聞かずに、弦楽器の和音ばかり集中して演奏し・聞いていました。実際のここの弦楽器の和音は素晴らしいのですが、ホルンソロが耳に入らないのも困ったものです。弦楽器にそれだけ魅力的な役割が与えられているのですが。特にチョロはそういう役割が多く自分達のパートに没入しがちです。たとえそれが対旋律・裏方であっても・・・。


さて本題。またDr.セーバラトネさんに誘われ氏の家で夕食を頂きました。夕食が始まる前に、同じマンションに住むマレーシア人のフェルナンデスさんがいらっしゃり、ひとしきり会話の花が咲きました。彼はスリランカ人と間違えられてホテルなどで「嫌な思い」を何度も経験しているそうで、そういう類の話で盛り上がりました。フェルナンデスさんは別の夕食会があって食事が始まる前に出ていかれました。


しばらくして、フェルナンデスとの会話にメインゲストのスリヤクマラン教授夫妻が合流されました。スリヤクマラン教授は「Kilali Crossing」の作者なのです。この本はスリランカの内戦の悲惨さと、北部のジャフナの豊かな自然と素晴らしい人々を紹介したものです。Dr.セーバラトネからこの本を頂き、一気に読んでしまいました。今夜Dr.セーバラトネが作者のスリヤクマラン教授を私達(私とIMAIさん)に紹介してれたのです。


スリヤクマラン教授は、長く国連に勤めたあとロンドン大学で経済学の教授をされていて、ハーバードとか他の大学でも教えたことがあるのです。もうすぐ82歳だそうですが、肺の病気をされて呼吸が苦しそうなところを除けば、非常に若々しい方です。Dr.セーバラトナムが国際赤十字で働いていたり、スリヤクマラン教授が国連・ロンドンで働いていたというのは、非常に優秀であっても「タミール人」というだけでスリランカでは職を見つけることが困難であったり、非常に不当な扱いを受けるのです。


いすれにしろ、二人のタミール人知識人との夕食・会話は非常に楽しく有意義なものでした。私はコンピュータを持参して先月のジャフナ旅行の写真をお見せしました。IMAIさんと私は教授から「Kilali Crossing」を日本語に翻訳することについての許可を頂きました。まともな日本語の本になるかどうかは不安ですが、なんとか訳してみようかと思っています。秘書のス−パさんのタイ料理がとても美味しくて話がはずんだということもありました。ご馳走様でした。




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