KENの日記
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2003年10月21日(火) 和平会議再開近し、スリランカ市民権

LTTE(スリランカの政府組織)が和平会議再開に前向きである報道がなされました。


スリランカの政府・LTTEの和平会議は、今年の4月中旬にLTTEが会議から離脱したままになっていました。日本が威信をかけて開催した「東京援助国」にもLTTEは参加しませんでした。


その後スリランカ政府は「暫定統治案」をLTTEに提示して和平会議再開を促してきていたのです。この政府の「案」は暫定的にタミール人に一定の行政機能を与えるものなのです。この案に対してLTTEは10月31日に対案を提示することになっています。この案はタミール人の「自治権」をさらに拡大する案になっていることは間違いありません。


LTTE政治グループメンバーは先週まで2週間にわたってヨーロッパを訪問して、スカンジナビアの国々の統治システムを勉強してきたのでした。アイルランドの憲法専門化と議論し、パリで対案のレビューをしたり、デンマーク・ノルウェーを訪れたのでした。ノルウェーでは紛争解決特別大使の「エリック・ソルヘイム」氏と会って今後の進め方を協議したのでした。


この12月で停戦から2年経ちます。一刻も早く和平会議再開されることを願っています。


少し前の新聞報道で追記(2003年10月8日)
スリランカ「公民権法の修正法」が国会全会一致で可決されました。これはスリランカ南部に住む「インドから渡ってきたタミール人」に公民権を与えるというもの。この人達はこれまで国籍がなかったのです。当然選挙権もなし。スリランカの内戦の一つの原因であったのです。


この歴史を少し調べてみました。


イギリス植民地時代の1830年を中心にイギリス統治府の命令で約100万人のタミール人労働者がインドらスリランカ(当時セイロン)に連れてこられました。彼等はスリランカ南部にある茶・ゴムのプランテーションで働くことになったのです。当時はインドもセイロンも同じイギリス統治下にあったのです。従って、タミール人もシンハラ人も被支配民族として基本的には平等だったのです。


しかし、1948年イギリスから独立したセイロン政府は、セイロン国民の定義からこのインドから来たタミール入植者を除外したのでした。それまではイギリス統治下で同じ扱いを受けてきたタミール人入植者はここで国籍を失ってしまったのです。


その後1964年に当時のバンダラナイケ大統領をこの問題を解決しようとインド政府と話し合い、600,000人のタミール人をインドに帰還させることにしたのでした。この人達はインド国籍を得たのですが、インド市民権を得ずにスリランカに残りたいと考える人は多かったようです。スリランカ政府は375,000万人をスリランカに受け入れることにし市民権を与えました。しかし約150,000人のタミール人は取り残されたままの状態でした。


この取り残された150,000人とインドに戻れるのに戻らず、スリランカに留まった人達、そしてその子孫の人達が無国籍状態になったのでした。今回の法律はこの方達約300,000人にスリランカ国籍を与えることにしたのでした。


スリランカ南部「茶」畑にいくと、貧しそうな茶摘の人達を見ることが出来ますが、彼等の中には国籍さえ持っていない人達が含まれていたのです。つい最近まで。




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