「ねー教えてよー」
銀次から出された卑弥呼の話題を明日の天気の話にすり替え、公園のスバルに向けて歩く速度を上げる蛮に、銀次はその後ろを小走りに追いかけながら尚も呼びかけた。
「ねえ、蛮ちゃーん」
まぁだいたいが、一度こうなってしまうと蛮は滅多にそれを翻すことなどしないのだが。 そして、それを誰よりも知ってはいるのだけれど。 なんとなく引けない気持ちで隣に追いつくと、公園の入り口付近で銀次は蛮のコートの腕を引っ張った。 「ねえねえ」 「うるせえ」 まったく、テメーは駄々っ子かよと内心で呆れつつも、蛮が腕に銀次の指を引っ掛かけたまま、それでも歩みは止めずに返す。 しかし、これではまるで、男同士で腕でも組んで歩いているようだが。 すれ違い様の好奇の視線は、この際無視する。 「蛮ちゃんったら」 「だーめ」 「なんでー。一人で背負っちゃだめだって、オレ、前にも言ったじゃん」 答えは、不服いっぱい。けれど、蛮はにべもなく返す。 「だめだっての」 銀次の頬が、控え目にだがはっきり膨れた。 以前、卑弥呼の件を話してくれた時に、蛮が自分に言ってくれた言葉が頭を過る。少し責め口調になってしまった。 「引きずってでも連れてくって。蛮ちゃん、オレの事あの時そういってくれたくせに」 そのセリフに、蛮が苦い表情になる。 まったく、このアホは。 トリ頭のくせに、そういう事だけはしっかり覚えてやがる…と、蛮が心中深く溜息を落とす。 確かに覚えがある。別に嘘を言ったつもりもない。道連れにするならコイツしかいないと、それは今も思っている。 だがあの時と今では、状況が違う。いや、状況というより心情面の問題か。 銀次がメンタル部分に厳しいと感じるだろうことは、どうにも避けて通りたいと思ってしまうフシがある。 いったいいつから自分はこんな風なのか。そして、それが筋違いだという事にも、、無論気付いてもいるのだが。
――それに。
何れ、巻き込まずにはすまなくなるであろうこともわかっている。 自分が巻き込まれていく運命なら、連れ合いであるコイツも自然と同じ運命を辿ることになるだろう。
だが、できることなら、今はまだ。 まだ、銀次には――。
「ねえったら」 「だーめ。しつけぇぞ銀次」 「んもー」 折れない蛮に、ついにぶーたれる。 そして、しばし考え、銀次は奥の手を出すことにした。 スバルの運転席のドアの前まで数歩の所で、キーを取り出そうとする蛮の腕を取ったまま銀次が立ち止まる。自然と蛮も歩を止めた。
「だって蛮ちゃん」 「あ?」
「だってー。GetBackersの”s”は、一人じゃないって意味なんでしょ?」
見つめてくる琥珀は、真摯な上目使い。この懸命な一途な瞳に、蛮は実は滅法弱い。 しかも、同時に放たれたのは、少々甘え口調の殺し文句ときた。 さすがに、うっと返答につまる。
コンビを組んで間もない頃に、今から思えば相当こっ恥ずかしい話だが、自分から銀次に吐いた台詞だ。 まったく、なんだってこんなことを言っちまったのか。 自分から放った、下手をすれば口説き文句ともとれる台詞だけに、この一言には蛮の頑なな思考を緩ませるのに絶大な効果がある。
――が。
しかしよ。 いつも、いつもってワケじゃねえぞ。
思いつつ、動揺を悟られない様に、蛮は両肩を大きく脱力させた。 努めてぶっきらぼうに、感情をいれずに短く返す。
「……だめだ」
その答えに、今度は銀次が脱力した。 ついでに、膨れっ面を通り越して、かなりふてくされた顔になる。
「もー。ケチ」
ああ、もう。昔はこれでイチコロだったのに! 蛮ちゃんてば! ちぇーと心でこぼして銀次が思う。 何がなんでも話たくない理由はあるんだろう。それは、理解できるし、仕方がないとも思う。 けれども、頭ではそう理解できていても、今回の件に限っては感情がどうにも先走ってしまうのだ。
まったくもお。 いいんだ、いいんだ。 どうせ蛮ちゃんは、卑弥呼ちゃんのコトになると、オレのことなんかさー。 おざなりにしちゃうんだもん。
…なーんて。
ワカっていても、ついつい、ちょっぴり僻んだような気分になってしまうんだよね。 そういう天秤にかけられる話じゃないってことも、よくよくよくワカっているくせに。
ここから先は、自分だけの内緒ごとなので、胸の奥の奥でさらにこっそり呟く。
わかってます。蛮ちゃん。 これはやきもちなのです。 だから余計にさ。ちょっと無理も言ってみたくなっちゃうんだよねー。
いや、でもさ。 コンビとしては、そんなに無茶は言ってない気がするよ。 けれど、そこにシットが混じってる分、オレは自分で勝手に分が悪いと思っているのです。 今一つ、強引にその主張を押し通せない。その理由がそれ。 そんで一人でぐるぐるしてんの。
蛮を見つめたまま、自分の思考に囚われてぼーっと固まってしまった銀次に、さすがに気になったのか、蛮が首を傾けるようにしてその耳に呼びかける。
「ぎーんじ?」 「え? あ、うん」
ぼんやりしたまま、ちょっと目尻と鼻先が赤くなっていたらしく、それを見つけた蛮がやや瞠目した後、やさしい眼をしてそれを細めた。 コツン…と、拳で額をこづく。
「アホ」
そして、銀次の肩に腕を回し、宥めるような、掠めるだけのやさしいキスがその唇に降りてくる。 銀次が軽く睫毛を伏せた。やわらかい甘い感触に、開くと同時に今度は頬が赤く染まる。 けれども、口調はまだ剥れ気味。
「……もう。蛮ちゃんったらー。そんなのでごまかされないんだからね」
悔し紛れに小さく呟くと、それをからかうように赤くなった鼻をぎゅ…とつままれた。 可愛らしい幼い口調と表情に、蛮が思わず笑って言う。
「何、つまんねーことでベソかいてんだ。ガーキ」
もう。
…蛮ちゃんはズルイ。
銀次が思う。 オレばっかり。 オレばっかり、こんなでもう――。
上目使いになったまま、言葉が出ないでいると、ふいに両手の中に頬を包まれる。最大級の甘やかしだ。 結局こういうので、最終的にはいつもけむに巻かれてしまうのだが。
「今すぐはダメだっつってるだけだろーが。オメー、バカ正直だから全部顔に出るだろ?」 「うー」 「ちょいと待てや。今に嫌でもテメーによ…」
続きの言葉は、連続キスの中にくぐもって埋もれた。 ほだされてるなぁと頭の隅で感じつつも、結局、銀次はそれ以上は訊くことは出来なかった。 蛮とのキスのことしか頭になくなったから。
昔はもうちょっと、オレのが強気で押せ押せだった気がするんだけど。 今は。 「蛮ちゃん!」でも、抱きつきでも、さらにはGetBackersの”S”でも、蛮ちゃんに勝てなくなっちゃたような気がするー。
なんでかなー。
唇が離れて、吐息が漏れる。 銀次の方は、そんな思考もあって、ほんの僅かに憂いが混じった。 それを気づかれたくなくて、くるりと隠れるように蛮の背中に回る。身体の位置を少し低くして、蛮の背に額をこすりつけた。
かなわないのが、ちょっと悔しい。 負けちゃう自分が、ちょっぴり。
「もう、大好きなのにー」
漏らされたその一言に、蛮の背中がぴくりとする。紫紺が思わず、狼狽しつつ見開かれた。 肩越しにちらりと金色を振り返り、しばし眺める。 そして、よしよし気づいてねぇなと安堵して、蛮が眼を細めてほくそ笑んだ。
無意識の”殺し文句”にはまったく気付かず、銀次は蛮の背中に甘えながら、黒いコートの上から包むようにその身体に腕を廻してしがみつく。
「GetBackersの”S”は…」以上の殺し文句の存在には、当の銀次はまったく気がついていないらしい。
そうそう気づかれたかねぇが。 蛮が思う。 まだまだコッチが勝ってる気でいてぇじゃねえか。なあ? そう自分に一人ごちる。 本当は、出会った瞬間から一度だって勝てた気などしていないのだが。 勝負はもうとっくについている。挑む気すらない。 それどころか、何に変えても護りたいとまで思ってしまう。
背中の温もりを抱き寄せずにはいられなくなり、蛮が身体の向きを変えてギンガムチェックの上着を腕の中に抱き入れる。 それをスバルに凭れ掛からせながら、見つめてくる琥珀の眦に掠めるように口づけると、その耳に唇を寄せた。笑いを含んで。
「ばーか。甘ったれ銀次」
からかいを含んだ声と台詞は裏腹に、ひどく銀次の耳に胸に甘かった。
背に腕を廻してしがみついてくる身体を、大事そうに腕にくるんで蛮が思う。
明日は、確か雪の予報だった。 スバルの車内は、今夜相当な冷え込みになるだろう。 どうせ仕事も来やしねぇだろうし。
今夜は暖房の効いたホテルの部屋で、たっぷりコイツのカラダに口説かれるのも悪かねぇな――と。
そう思い、耳に告げる。 銀次は一瞬で、耳朶まで真っ赤になってしまった。 とっておきの低い声で、そんなとんでもないことを鼓膜に向かって囁かれては。
やっぱ、かなわない。蛮ちゃんには。 いくら自分が、どんな殺し文句を吐こうとも―。 やっぱり負けちゃうんだよなー。 銀次が降参しつつ、そう思う。
――なんといっても、この低音にのせると、 蛮の台詞は、すべてが殺し文句になってしまうのだから。
END
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