ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2007年08月12日(日) マニュアル人間

 人は、最初から恵まれすぎていると、そのありがたさすらわからないというが、私の場合も、そうだった・・・・。母がボケだして、介護保険によるサービスを申請し、ケアマネージャー、ヘルパー、そして、週に3回ほど通うデイサービス施設などを、申請と同時に選ぶのが基本パターン。

 吟味に吟味を重ねて選ぶ人もいれば、いわれるがままに担当者をあてがわれる人もいるだろう。そして、私は、いかんせん日本に住んでおらず、私自身にも時間の限りがあるゆえ、そこまで吟味するわけにはいかなかった。にも関わらず、幼馴染M嬢の母君ネットワークのおかげもあって、これぞ理想っ、と思われる担当者に巡り会えた。

 もう、こうなると運としかいいようがないのだが、一人暮らしの母の生活を支えてくれた介護スタッフは、本当に《臨機応変》で、きちんと自分の頭で判断&責任を負うことができる人たちだった。みんな女性で、育児もこなし、看護士として活躍してきた彼女ら。決してマニュアルだけで仕事している女性たちではなかったので、そりゃあ、本当に頼みになった。

 母の介護者であったけれど、私も積極的に彼女らとコミュニケーションをもつようにしたし、緊急事態にも対応できるように、介護者から頼まれてもいないのに、私のほうも、母を介護するにあたっての注意書きなどを詳細にまとめて、関係者に配っておいたりもした。

 たとえば、《いやだわ、私》とか、母がどういう口調で言っているかによって、無理強いしてもOKなど、そういった娘からの観察視点で書かれた、レポート。嫌も嫌も好きなうち・・・である訳で、そこで、母に嫌と言われた時点で、手を引かないでおくんなせえ・・・、という意味。

 あとは、母の昔話に対応できるように、母の半生と、家系図と、各人間関係にわたる要約などもくわしく書いておいた。それ以外にも、モノをしまうとしたら、どの辺か?、しまいこんでしまう時のクセは?、外出先のパターンは?、生活の基本パターンは?、等も、書いておいた。

 これには、後になって非常に感謝されたので、私も、作った甲斐があって、ホッとしたものだ。もし、これから何かで遠距離介護などをしなければいけないと時は、こうレポートを作成することをお勧めする。

 また、定期的に介護スタッフに私のほうからも国際電話をして、様子を伺ったり、わからないことはないか?、等と、言いにくいことも言いやすいように状況を作って、それなりに対応してきた。そして、基本的には、全面的に彼女らを信用する、という態度でいたので、彼女らもそれにこたえるように、本当にきめ細かいサービスをしてきてくれた。

 真冬にストーブが壊れてしまった時、すぐにケアマネから国際電話がかかってきて、折り返し私のほうから彼女にかけなおし、状況を聞いたうえで、パリの自宅からストーブ会社の顧客サービスへ電話して、修理人を発注するなどもした。そして、その立会いに、ヘルパーがいる時間帯を選んで、確認してもらうなど、こまかい伝達などを、国際電話でやりとりしたものだった。(時差があるので、たいだい私は午前2時3時ごろに、よく日本へ電話していた・・・)。

 また、母が非常に介護者らから好かれていたのが幸いして、自分の母親のように皆から心配されていた模様。サービス時間外にも、母を気にして立ち寄ってくれたり、誕生日には、ケーキを持ってきてくれたりと、近所の人という立場も接してくれていた(介護サービスとしては、ここまでは許されていないので、あくまでも、個人のつきあいという範疇で)。


 新たに問題が発生するたびに、私も、彼女らも、皆で意見をだしあって、解決してきたりもしたのだが・・・・・・・・。

 2005年の年末、いつも介護者らが正月休みに入ってしまうのと、私もどうしてもフランスへ戻らねばならない事情が重なり、年末年始の間だけ、母が完全に一人になってしまう可能性が出てきた。私は、ヘルパーには、家の中に入ってもらって、生活の仕方から些細な変化をチェックしてもらう役目を一番重視していたので、これが完全になくなってしまうことと、母の一人暮らしにも限界が見え隠れして、私は困り果てていた。

 そして、ケアマネと相談した結果、最後の手段として、つい最近まで日本のニュースでよく見聞した介護業者《コム○ン》に、臨時ヘルパーを頼むことになった。ここは、年末年始もやっているということで、選んだのだが、実際にやって来たヘルパーをみて、私は愕然とした。

 介護業者《コム○ン》のヘルパーの人たちが、皆この人のようだとは思っていない。が、斡旋されてきたヘルパーは、マニュアル先行型の人で、自らのアタマで判断することが不可能な人だった。彼女の問題処理能力は、《臨機応変》という言葉からは程遠く、契約書の説明から、そこに印鑑をつくまでのやりとりだけでも、ひっさびさにアタマから湯気が出そうなほど、アタマにきた私だった。

 そのくらい、マニュアルからはずれたことを尋ねたりすると、すぐにフリーズするか、あらかじめ教えられた答えを連呼するばかりなのだ、このヘルパーはっ!!。もちろん、自分から、担当する家族に質問するという、アクションすらない。本当にヤバイ。これで、生身人間を相手に、それも一寸先は予想もつかない動きや言動をする認知症の介護ができるのぉぉぉおっ?!?!?!、と、彼女の首っ玉をつかんで、《あんた、ヴァカァっ ?!?!?》激しく問いただしたいくらいだった。

 社会的役目&使命を取り除いたら、こういう人はどんなことを考えて、どのように生きているのか?、などと、いらぬお世話までしたくなってくるほど(笑)。マニュアルを実行するか否かを判断するのが、あくまでも一個人であってはじめて、マニュアルと人間の間に、適度な距離が生じると思うのだが、このように、マニュアル自体に取り込まれた、自分というモノがまるでない人を前にして、怒りと恐怖を覚えていた私。しかし、こんな人と契約をしなければならないことが、一番の恐怖であり、あとは賭け、でしかなかった。

 翌日の昼には、パリ行きの飛行機に乗り込んでいるはずの私。友人らは、最後の晩餐の準備で我が実家に到着して、海鮮鍋の仕込みをしている。そして、新ヘルパー相手に、顔面蒼白になるほど怒り狂い、不動明王のようになっている私の様子を、キッチンからニヤニヤしながら観察していた・・・・。

 結局、マニュアルにしか反応できない人には、こっちもマニュアルを作るしかないと思いつき、急遽その場で、《こういう場合はこう動いてくれ》等の細かい規則を作成し、逆にそれ以外はやらないでくれっ!!!!、と厳しく注文をつけ、ようやく私は契約書に印鑑を押した。ああ、それにしても・・・・・・、今までが、あまりにも恵まれすぎていたのだ・・・、と、つくづく思った私だった・・・・。

 その後、春になり、また実家に戻った私は、介護スタッフがつけていた介護報告レポートに目を通す・・・・。すると、いつもの臨機応変で理想的な介護スタッフですら、この問題ヘルパーとは、なかなか意思の疎通ができなくて困ったいた様子が、その文脈から伺えて、ああ、私だけがこういう人間を相手に、ムカムカするわけじゃないんだ・・、と、妙にホッとしたゼロでした。

 ただ、こういう人が資格だけ取ったからと、簡単にヘルパーとして採用されるのだとしたら、ちょっと怖いなァ・・・、と、思いませんか?。


Zero |BBSHomePage

My追加