ゼロの視点
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思えば1989年の春、初めてベルギーから列車でパリの北駅に到着した時は、なんともいえない雰囲気に驚いたものだった。そして、スーツケースを持ってメトロへ乗ろうとヨロヨロと友人MF嬢と2人で歩いていると、目の前にトレンチコートを着た♂が立ちはだかり・・・・・。
邪魔なんだけれどなぁ、このオッサンとばかり、ボーっとしていると、お決まりのコートご開帳で、白人サマのビ魚肉ソーセージの拝見からはじまった、パリ初体験。
ただ、ここで驚いては相手の思う壺とばかり、高い授業料の割にはまったく使い物にならない、私大仏文科在学生の仏語能力ギリギリ精一杯のところで、オッサンに《C’est trop petit pour moi /そりゃ、わたしにゃあ、ちいさすぎるわ〜ん♪》と言い返し、オッサンとその魚肉ソーセージそのものが同時に萎びていくのを、颯爽( ?)と後にした私たち・・・・。
とはいえ、実際のところは、ドキドキしてたわけで、緊張した中での出来事だったのが、今になっては懐かしい思い出。フランス語もどうにか通じたとはいえ、強烈な日本語訛りの、ほとんどカタカナ読みに近い代物だったに違いない・・・(汗)。
さて、昨年の5月、モロッコのフェズを1週間かけて旅行した。夫が所属している某団体のメンバーで、フェズ出身のパリ在住モロッコ人SLが企画した旅行に、私たちは参加したわけだ。ツアーのメインは、ここで毎年開催されている、フェズ世界の聖なる音楽祭(Festival de Fes des Musiques Sacrees du Monde)の鑑賞。
フェズ観光の目玉、迷宮都市とも言われているメディナを、フェズに到着した翌日の朝から、ガイド付で観光。見るものがたくさんありすぎて目が疲れるほどだというのに、そのうえスリにも注意しろと、嫌になるほどガイドらに言われる。そして、そんな言葉に誘発されたのか否か、皆、なんとなくピリピリして観光を続けている。
さて、これが主催者SLの思惑だったのかどうかは知るよしもないが、以後、皆は、フェズが油断もすきもないところというふうにとらえるようになったのは、確か。ゆえにツアーの最後の最後まで、SLが企画したオプションツアーだの、ディナーだのなんだのと、現地人の生活レベルの何十倍もする《贅沢》な企画のみに、彼らは参加し続け、誰も、フェズのメディナを自由行動で再訪しようともしなかった。
私は、もともとこのSLがうさんくさくて、好きじゃなかったので、ツアーには参加したものの、極力、自由な時間をゲットしようと企んでいた。というのも、ツアー中の企画の差額は、全部SLのポケットマネーになっていることは、明らかだったから。そして、最後の最後まで、できる限りの自由行動を続け、SLに《献金》しない私たち夫婦は、かなり煙たがれるようになっていったが、ま、仕方がない。
SLが私たちを利用するなら、私たちもこちらのやりかたで少なからず利用しかえしたって、別に悪いことじゃないわけで・・・・。
さて、連日、《今日もちょっくらメディナで迷ってきま〜す♪♪》と、楽しそうに目を輝かせて、出かけていく私たち夫婦の後姿を見て、ツアーの仲間は皆、あきれていたと後でなって耳にした。《あんな危険なところを・・・》というわけだ。
で、思わず笑ってしまった。バグダッドへ行ってしまったというのなら、わかる、が、フェズはそれでも一応観光都市でもあるわけで、それなりに最低限の用心をしていれば、とても楽しめる場所でもあるはず。なのに、怖い、というわけだ。
で、それ以上に笑ってしまったわけは、日本人がフランスへ行く場合、ガイドブックにはたくさんの治安情報が書いてある。むろん、北駅などは治安が悪いので有名であり、ネットで検索すれば、旅行者の間で《近く北駅を利用するのですが、本当に大丈夫ですか?》などというやり取りを、ごまんと発見できる。
そのくらい、日本人観光客は、ある意味フランス人を怖がり、移民が増えていくパリの治安を気にしながら旅をしたりしているわけだ。もちろん、私もかつてそうだったわけで・・・。ジャックナイフをポケットに忍ばせ、外出する時は、ホテルの部屋でも盗難にあうかもしれないと思い、スーツケースごとがっちり鍵をかけたうえで、南京錠でスーツケースを便座に結びつけ・・・・・・・・。
ここまで他の人がやっているかどうかは知らないが(笑)、あの時の私は、日本人じゃない人は、皆、ものを盗む可能性があるとまで、無意識に思っていたふしがあると、最近になって気づいた。それは、恐らく、熟知できないものへの形容不可能な怖れから来ているのだろうけれど。
が、今回、これと同じように、ツアーに同行した、フランス白人で、日本で言う《一般中流家庭意識》を持っているだろう彼らが、フェズの自由散策を怖がっている様子が、日本人が海外旅行とする時の怖がり方とダブった。そして、日本人が怖がる《異邦人》である、フランス人らも、同じく《異邦人》を怖がっているのが、なんともいえず滑稽で、あまりにも人間らしく、おかしくなってしまった、というわけ。
決して彼らをバカにしているわけではない。むしろ逆で、自分の一度は通過したポイントであるからこそ、自虐的に笑えた・・・、というのが正しい。
恐らく、これを読んで、パリもフェズも全然怖くもなんともない人もいるだろうし、その両方が怖いと思う人もいるだろう。で、全然どうも思わない人もいるだろうし、所詮世界なんてそんなものだ。そう、すべて相対的であって、誰とでも同じ尺度では語り合うことは難しい。
大昔からの歴史年表や近年の世界情勢を見聞していて、はては、あらゆる人間関係、つまりは、同僚、家族、殊に夫婦(笑)のことまでを考慮したうえで、相対的な物事を尊重し、決して自分だけの尺度で他者を断罪しないこと。それは、簡単なようでいて難しいことなのだと、つくづくと思うゼロでした。
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