ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2007年07月26日(木) ウルリッヒ・ミューエ

いつものように、テレビニュースを見ながら、あーでもないこーでもないとくっちゃべりながら、夫と夕食をとっていた。そして、ふと入ってきた、とあるドイツ俳優の訃報・・・・・・。

 今年の1月に、ふとしたきっかけで、私たちはベルリンへ旅たった。4泊5日ほどの滞在だったのだが、本当にパリとは全く違う空間を、堪能することできたいい旅だった。

 ベルリンも移民が多いと聞かされていたわりには、タクシーの運転手でもなんでも、パリに比べれば、日に焼けた人種の割合が少ない。これには、本当に驚いた。トルコ系移民がたくさんいるというが、本当にそんなにいるのぉ?、というほど、パリのソレに比較したら、すべてがブロンド金髪に見えるほど。

 人口密度もパリに比べたら、見た目にはベルリンのほうがはるかに少ないように感じた。とにかく、広大な土地と、いまだにあちこちに漂う、旧時代の残滓と、モダニスムの折衷は、70年代のアングラSF映画をみているようでもあって、妙にゾクゾクさせられる。

 ベルリンの街をみていると、ふとロンドンを彷彿させる気配もあり、ああ、こういう街がロックを産むんだなぁ・・と肌で妙に納得すると同時に、パリは決してロックな街じゃない・・・、と、なぜか強く思ったりもした。永遠に続くかのような荒涼とした大地から沸き出でる寂莫感と諦念、それに喚起されたかのように《それでも生きているっ !!》身体を逆流する熱い叫び。

 一方、パリのおっさんらが囁くように歌っているシャンソン等は、実は、愛だの、捨てないで〜♪、皆に捨てられて枯葉のように死んでいくだけだよ〜おれは〜♪♪、だのと、もっと人間じみていたして、日本の演歌のようでもあるから、面白い。熱くシャウトして、現社会を訴えてやる〜っ、という意気込みはあまり感じられないのが、おフランスのシャンソン。

 ま、仮に社会を反映したシャンソンがあったとしても、ロックとはまた一味違うのが、おそらく、ラテン人種とアングロサクソン、および、ゲルマン系の方々と違うのだろうと思った。

 その後、友人らのすすめもあって、映画《善き人のためのソナタ・Florian Henckel von Donnersmarck監督/2006独/原題Das Leben der Anderen》を鑑賞。ストーリーなどの説明は割愛(検索すれば、たくさんヒットすると思うっす)。

 この映画が淡々とした展開かつ、心に静かにそれでいて確かなインパクトをもって迫ってくる、極上の心理ドラマを展開させる。そして、このシナリオだけでも興味深い映画を、なお一層味わい深いものにさせている俳優が、ドラマの主人公であるヴィースラー大尉を演じた、Ulrich Mühe(ウルリッヒ・ミューエ)だった。

 彼の表情、殊に目から醸し出される、様々な感情の葛藤などは、本当にすばらしいと思った。そして、その控えめながらも強烈な演技は、あのベルリンの乾いた冷たさとマッチして、かなりのインパクトを私に与えたものだった。

 以後、暇な時間にテレビを何気なくザッピングしていると、この俳優が色々な訳でテレビドラマなどに出演しているのを知って、そのたびに、夫と2人で《あの俳優だっ !!!!》等と、それを発見しては、心もち彼を応援している気分だった。

 それが・・・、だ。突然の訃報・・・・・。享年54歳、胃癌が原因とのことだった。

 なぜかわからないが、この訃報を耳にして、非常に悲しくなった。普段はこういったことがないのから、自分でも驚くが、わたしと同様、夫もかなり悲しいと言っていた。そして、悲しいという感覚と共に、1月にベルリンで感じた、寂寞感が身体じゅうにひろがっていった。

 などと、書きながら、その2時間後に、ARTEチャンネルで放送された映画《仏題Jamais sans ma mère/2003/ノルウェー/原題Mors Elling 》が、たまたま始まったので、観てみたのだが、妙に面白く、すっかりテレビの前から動けなくなってしまった。そして、先ほどの悲しみなどはどこかに吹き飛んで、この映画をみながら、泣き笑いをしているうちに、一日が完全に終わってしまった・・・・・・・・・・・(汗)。

 本当に、この夜は、ただひたすらテレビの前で受動的に過ごしてしまった・・・・。とはいえ、ベルリン、そしてノルウェーなどの、緯度の高いヨーロッパの雰囲気に包まれた一夜だった気もするゼロでした。


Zero |BBSHomePage

My追加