ゼロの視点
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2007年07月23日(月) 郷愁

 ふと、暇つぶしに実家がある地名をGoogleで画像検索してみた。すると、実家からすぐのところの写真が何点もヒットして、ビックリ。フルスクリーンに拡大された画像をみていると、写真に吸い込まれそうになってくる。そして、今にでも、そこにうつっている道を歩いて、その先にある実家に当たり前のように戻っていきそうだ・・・・。

 物事を思い出そうとする時、私はよく、その瞬間に戻って《その時》を頭の中で再現する作業をする。その時の映像がふと出てきて、そこに舞い戻った私が、再び《そこ》で探偵のように、喪失したと思われる事象を探す・・・、というわけだ。

 が、瞬時に映像が出ない時がある。そういう時は、たいがい泥酔して、記憶自体がぶっ飛んでいた場合(汗)。ま、20代の時から比べれば、いまやこういう状況は極端に減ったとはいえ・・・・。何度トライしても、まったく出てこない映像と、そういう自分の状況に酷く不安を覚えたりしたものだった。

 とはいえ、いずれきっと、《違った理由》で、また映像が頭に浮かばないことが多くなってくるのでは・・、と、思われる。老化・・・、だ。まだ先の話であるようだが、認知症になった母を見ていると、ありえないことではない・・、とつくづく思わされる。

 と、同時に、認知症というのは、《今までできたこと、今まで思い出せたことなどが、何度トライしてもできなくなっていく自分に対する不安という病でもある》と、とある人に説明されたことがあったが、最近私は、それは至極当然なことだ・・・、と、認識するようになった。

 さて、写真に吸い込まれ、知らず知らずのうちに写真の中の道を実家に進み始めた私。当然のごとく、かばんの中から鍵を出し、ドアを開けようとしている。そして、実家のドアを開ける感触、音、そして一歩家に入った時の匂いまで、まるで本当にそこにいるかのような、摩訶不思議な感覚がやってきた。

 家の中の雨戸は閉まっている。以前、母が実家にいるときだったら、私のイメージだったら、雨戸は開いていたのだろうけれど、おもしろいことに、私の記憶はきちんと書き換えられており、《もう、母はここにいない》ということになっているようだ。気まぐれにしか更新されなくなって久しいこのサイトよりは、きちんと更新されている私の記憶、と、いったところだろうか?。

 それにしても、実家近所の写真の効果は、なかなかのものだった。と、同時に、今になって、やっと《郷愁》という言葉の意味とそこに折り込められた感慨が、わかるようになってきている自分を発見。

 両親とも、東京都出身ゆえ、里帰りするということがなかった。お盆や正月などの帰省ラッシュをみては、それに猛烈に憧れた。夏休み明けなどに、学校でクラスメートが、《田舎で・・・云々》と楽しそうに語るたびに、田舎がない自分が悲しかった・・・・(笑)。親に《お願いだから、田舎を買ってくれ》と訳のわからないことを、執拗に頼んでいたこともあった私。

 それが・・・・・。

 何の因果か、今や、クリスマスだ、なんだと、夫の実家へ大荷物で帰省ラッシュすることが当たり前の生活になった上に、フランスとその極東にある母国に帰省するのが常になった生活。

 田舎が欲しくても買えなかったから、それならば・・・、と、無意識のうちに私はこういった場所を選んで暮らし始めたのか?!?!?!?、等とも考えてみたが、ま、どちらにしても、こういう生活になった現在、はっきり言うが、里帰りなんぞ、非常に面倒くさいっ、その一言につきるっ!!!!!!!!!!!!。

 実家だろうとなんだろうと、適当に近くにあるほうが便利なのだと、こんな人生を遠回りした挙句に、ようやく悟った、40歳になりたての、わ・た・し。あーーあ。

 想像上で実家のドアを開けた私だったが、ふと現実に戻って、誰もいない家の様子はどうなっているのか激しく気になりだし、実家近所の友M嬢にさりげなくメールしてしまった。ま、さすがに、すぐに家の中を見に行ってくれ〜っ、等とは頼めなかったものの(笑)。

 最近、M嬢はジョギングを始めた・・、ということだったが、いっそのこと、うちの実家前を通るコースにしない?、と、今度頼んでみようか?!?!?!等、深夜に図々しい思索を練るゼロでした。


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