ゼロの視点
DiaryINDEXpastwill


2004年12月08日(水) 失われた時を求めて・6

 12月6日〜8日まで、母と2人でのんびり(?)秋田県にある乳頭温泉へ行ってきた。

 往復新幹線、ホテル2泊の夕食&朝食付、温泉入り放題で、たったのひとり23,800円。すっかりフランス人的にケチになっている私には、なかなか満足なお値段。

 母を新幹線の窓際に座らせ、旅行気分を楽しんでもらう。あっという間に都心を離れ、車窓からは、のどかな田園風景が広がる。

 昨年まで愛犬がいて、旅行へ行く気にもならなかった母は(愛犬を留守番させるのは不憫という理由で)、久々の旅行で顔が非常に明るい。道中、駅弁を食べたり、ビール飲んだりしているうちに、あっという間に田沢湖駅に到着。

 旅館の部屋に案内されて、さて一息と思うものの、ここで母の性格がまた私をイライラさせた・・・。

 いかんせん、のんびりできない性質の母。到着した瞬間に、私に色々とせっつくように質問してくる。“夕食は何時だっけ?”“いつ帰るんだっけ?”“これからどこいくの?”等・・・・。

 昔から、こうだ・・・・・。で、これが小さい時から嫌で嫌でしょうがなかった私。が、現在はこれにボケが加わっているので、この質問が延々と続く。が、それでもボケはそれほど酷いわけでもないので、傍目にはわからない。

 そして、私がまたついついキーっとなってしまうと、とりあえず、ヒステリーな娘の付き添いで旅行しているかわいそうな母、というイメージになるのだと思う・・・(汗)。

 母の生き甲斐は、私の世話をすることと、私が発狂するまでかまうこと。

 なので、出かけるときは“ゼロちゃん、お財布持った?”“外は寒いから、ちゃんとコート着るのよ”等のアドヴァイス。

 が、哀しいかな、実際に母が初期のボケになってからは、声にだそうが出すまいが、母がちゃんと財布を持ったか否か等をチェックしているのは、私。

 で、私がこれをすると、母は私のことを“おせっかいの小姑”とほざく。この時点で、プチンと私のどこかの神経が切れる音がする。

 次に、さて、どこへ行こうか?、と地図を見ていると、“あーーあ、ゼロちゃんと一緒にいると、いつもダラダラねェ”等と母はほざく。この時点で、もう一本、また私のどこかの神経が切れる音がする。

 すでに神経をかき乱されつつあった私は、もうどこに行こうなどと明確な意図を放棄して、ただ、母と乳頭温泉のある裏山を歩き出した。私も昔山登りをしていたし、母に至っては、もっと経験があるので、足はすこぶる強い。

 街歩き用の靴でもなんでも、とにかく、裏山を2人で冒険気分で彷徨ってみた。途中、さすがに私のほうが歩くペースが速まってきて、どんどん母が遠く担っていく。

 “ああ、これじゃ、まるで楢山節考じゃないか?!?!!”とひとり突っ込みを入れながらも、まだ、どこかでイライラしている私は、自分の歩くペースをダウンさせない。

 そして、だんだんと日が暮れてきた・・・。日暮れと同時に、さっきまでそれでも楽しそうに裏山トレッキングしていた母の言動が、もっと私をイライラさせてくるモノになってきた。

 こうなってくると、早く歩くどころか、歩けなくなり、立ち止まり、母にヒステリックに詰め寄ってしまう。が、これが大失敗だった。

 私はうっかり忘れていたが、ボケには夕暮れというのが大敵なのだ。夕暮れ症候群というのがあるほど、この時間帯に、ボケ症状が一気に進むことがあるのだ。老人ホームでも、老人らが徘徊しだすのは、この時間が多いと聞く。

 視界が暗くなるのと同時に、彼女らのアタマにも霞がいっそうかかってしまうのだろうか?!?!?!。

 母のことをボケ、ボケ、と書いているが、それでも同じことを何度も繰り返したり、以前の能力はなくなってきているということだが、この夕暮れ時の母は、ほんまもんの、ボケになったか?!?!?!、と思わせる言動が増えるので、こっちも動揺する時間帯になるのだ。

 昨年末、彼女がパリに来た時も、意識が朦朧とし始めるのは決まって夕暮れ時だった。が、これは場所が変わったからだと思っていたし、現に、10月末から実家にいても、これほど顕著な“夕暮れ症候群”は体験してなかったので、忘れていたが・・・・・、よく考えてみれば、パリではないものの、彼女にとっては、旅行先・・・・。そう、彼女の慣れてない場所に来てしまってるのだから、こういうことが起こっても不思議はなかったのだ。

 が、イライラモードだった私は、ついつい母に八つ当たりして、ギャーギャーわめいているうちに、母はもっとヤバクなっていった。

 が、なんとか夕食時までに、母をなだめることに成功して、二人で美味い旅館の食事を完食。一休みして温泉に入ろうということになった。

 露天風呂など、考えてみるだけでも、母はあまり経験がないだろうと思い、内風呂で彼女の身体が充分に温まるのを待ってから、露天風呂へ誘ってみた。が、やはりせっかちな母は、適当につかるともう風呂を出たいという。

 “もうちょっといいじゃないか”という私と、“出たい”と一点張りの母の応酬を、親子で真っ裸のまま続けたものの、最後には、母に完全に無視されて、彼女は勝手に出ていかれてしまった。

 裸で逃げる母に、裸で追いかける娘。ああ、なんつー追いかけっこだ(汗)。

 もし、昔だったら、母がさっさと出て行っても追いかけることはしなかっただろう。が、今では、場所が変わったうえに、先の夕暮れ症候群もあって、母が自力で自分の部屋に戻れるか否かに激しい不安を感じる私は、追いかけないわけにはいかない。

 特に、もう母と娘で喧嘩モードに入っているので、向きになった母が、そのまま部屋に戻るらずにフラフラと外に出て行ってしまったら、これは大変面倒なことになる。おまけに外は雪・・・・。

 しょうがないので、私も母と一緒にユカタに着替え、部屋に戻るものの、母は母で、私が自分に付き添って出てきたことを不服に思っているようで、またまた私がカチンとくるような言葉を吐く。

 そりゃそうだ、彼女にとったら、自分がボケてきているとは認識できないので、なんで、たまに帰ってきた娘がこんなに口うるさいんだ、と、彼女なりに腹を立てていると、容易く想像できる。

 が、私も人間。ついつい、母の言葉にカチンカチンきて、私もまたまたヒステリーを起こす。あーーーあ、温泉来て、2人でのんびりしようと思ったのに、なんなんだ、これはっ!!!!、と、自暴自棄な気分になってくる。

 そして、母の決り文句登場。

 まだ私が料理などできない小さい頃だったら、“明日のご飯なんて作ってやらない”という言葉。で、もう少し大きくなると、“学費なんて払ってやらない”という言葉。で、今は、“老人ホームに入ってやる”というお言葉・・・・・。

 どんな思いして、里帰りしてると思ってるのじゃーーー、と、私もとうとう完全に切れてしまい、大喧嘩に突入。そして、もっと意地になった母は、今から家に帰ると宣言してくる。

 私はムキになりながら、“ここまでボケたくせに、どうやって老人ホームに入居手続きをひとりでできると思ってるんだっ。それに、ここから帰るだって?!?!?!、じゃ、どうやって帰るか、今、言ってみろーーー”等。

 で、もっと意地になった母は、完全におかしくなってきている。これ以上刺激すると、発作的に部屋を飛び出すなんてことをしかねない(←まだやったことないが)ので、とにかくこの場を落ち着ける方向へ、急遽作戦変更。

 とにかく、なだめてなだめて、母が自発的にフトンの中に入るのを待った。そして、30分の攻防戦の後、母はあきらめるように、フトンの中へ入っていった。そして、そこを狙い打つかのように、レイキを彼女にやってみた。

 本当に、レイキに効果があるのかどうか、自分でも試してみたかったのだ(笑)。

 するとどうだろう、本当に彼女は穏やかな顔になって、落ち着きだし、熟睡しはじめてしまった。この効果に、私のほうが、自分でレイキをやっているのに、驚いてしまったほど(爆)。

 正味一時間強のレイキを母にやったのだが、ここまで効果があるとは、本当に思わなかった。母の顔色まですっきりとしてしまい、私も、さっきまでのイライラが吹っ飛んで、母の寝顔を見ながら、いとおしいとさへ思えるようになっていた・・・・。

 なんなんだ、これは?!?!?!?。

 ま、ともかく、一時は最悪になりそうだった母との温泉旅行も、これを機にどんどんとよくなり、翌日には、たのしい観光もし、充実したものになった。ああ、よかった、よかった。


Zero |BBSHomePage

My追加