ゼロの視点
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2004年11月17日(水) 失われた時を求めて・3

 かくして、過去と現在が激しく交錯する世界において、さすがの私も自分が統合しきれず、気がついたら、適応障害のようになっていた。

 自分の国に戻って、適応障害?!?!?!、と思えば思うほど、気分が凹んでいく・・・・。ヤバイ、ヤバイと、焦れば焦るほど、どつぼに嵌っていくのだ。

 冬至に向けて、どんどん日が短くなっていく。

 私が母のために完備した、介護保険を利用したサービスで、週3回デイサービスという老人のための保育園のようなところから戻ってきた母が、日没と共に、せっせと雨戸を閉めはじめる。

 そして、最後の一枚の雨戸が閉まった音を聞くと、まるで、全世界から隔絶されたような感覚に襲われ始めた。まだ午後6時前なのに、私は世界から隔絶されてしまうのだ・・・・。

 どのチャンネルを回しても、同じことばかり。切り口まで同じ。つまらん、つまらん、つまらん・・・。なんで、レポーターが美味そうに食べている映像などを延々と見ていなければならないのか?!?!?!。どうして、グルメばかりなのか?!?!?!。

 レポーターがあんぐりと開けた口の中に、“逸品”と称されたメニューが飲み込まれていく・・・・。どうして、暇つぶしにつけたテレビで、ここまでメディアが提示する情報を追体験しないといけないのか?!?!?!等、強烈な不満が延々と生まれてくる。

 でも、テレビを消してしまうと、もっと怖い。でも、何が怖いんだろうか?!?!?!、それがよくわからない。

 母と私だけの空間か?!?!?!、きっとそれもある。
 
 でも、それ以上のものはなんだろう?!?!?!

 色々な人と話していても、妙におととい、フランス人らと、身分も名前も気にしないで、会った瞬間に話がはずむ世界を体験してしまった今、さぐるようにして、それでいて、相手の気に障らないよう注意する、日本的なコミュニケーションが、ますます孤独を募らせてもいただろう。

 そして、午後8時ぐらいには寝てしまう母。

 深々とふける夜に、独り取り残され、出かけるにも出かけられないような気がしてならない、感覚・・・・。

 思えばパリでの生活は、午後8時くらいから、出かける準備をして・・・等、これからが始まりだった。そしてあまりにもこれに慣れてしまったため、午後8時には皆終わってしまって、しんと静まり返った住宅街にいること自体が、喩えようのないほどの恐怖を私にもたらせていたのだろう。

 今思えば、どうってことのない、こと。が、その時は、まるで窒息するかのごとく、キツかったのだ(泣笑)。

 5月中旬から6月下旬にかけての里帰りでは、私は色々とやることがあった。まず母をあらためて病院へ連れて行き、検査を受けさせ、それを元に、いかに限られた期間で、介護保険を申請して、それに基づいたサービスを母に与えることができるか否か?!?!?!。

 それは、まさしくタイムレースのような里帰りだった。が、逆に今思うと、私にやることがあったため、過去だの現在だの、自分の存在意義だのと、考える余裕もなかったので、楽だったのかもしれない。

 が、今回は、前回の里帰りで実施した母へのサービスが、本当に母にマッチしているのか否かを含めて、“母と一緒に生活しながら、母を観察して、微妙な変化や病状などをできるだけ的確に把握すること”がメインなだけに、実は私自身はそれほどやることがなかったりする。

 そして、今回はマジで長期・・・・。このまま何もやることもなく、ただ、母のかたわらに存在し、彼女のペースを受け入れ、とはいえ、3ヵ月後にはパリに戻るとなると、私は精神的に壊れてしまうのではないか?!?!?!、とドキドキしはじめた。

 もう、ネガティブな考えばかりが私のアタマを占拠する。ゆえに、母とできるだけ有意義に過ごすという目的とは、どんどんかけ離れていき、母と私はどんどん険悪になっていき、喧嘩も増え、気がつくと、私はしょっちゅう金切り声をあげるようになっていった。

 で、そのたびに、自己嫌悪に陥り、“私は何のために実家に戻ってきたのだろう?!?!!”と、出口のないネガティブな世界に落ちていくのだ。まるで蟻地獄。これでは、母のためにもならないし、私のためにもならない・・・・等。

 とはいえ、フランス時間で夫および友人らとコンタクトを取るために、どこかフランス時間を気にしている自分がいる。

 日本でフランス時間を気にし、日本語で基本的には日本人とコミュニケーションを取りながら、特定のメールや電話では、フランスシフトに即座に戻り、それと同時に母のリズムにも合わせ、銀行めぐりだの、なんだのも同時にして、とはいえ、自分のための時間はいっさいない・・・・、といったところだ。

 奇しくも、私が精神的に不安的になればなるほど、母のわけのわからない言動が増えてくる。そして、またそれに私がイライラして、ヒステリーを起こし、母がもっとおかしくなっていくのだ。

 そんな時、八方塞になって、介護する人のための電話相談、というところへ藁をもすがる思いで電話してみると、結局かえってきた答えは“いつもおかあさんにやさしくしてあげなさい”だとか、とにかく自分を抑えてナンボということだけ・・・・。

 介護する人たちが、その行き場のない感情をわかってもらえると思って電話して、結局その答えが“がまんしなさい”だとしたら、これは本当にヤバイと思った。

 確かに、私の場合は、母はまだ初期の痴呆だし、充分に最低限の日常生活は彼女だけでできる。それでも、イライラすることがたくさんあるのに、このレベルがどんどん酷くなってきている人を介護している人が、不満をいうな、泣き言をいうな、と言われたら、どうなってしまうんだろう?!?!?!、と思った。

 電話相談というけれど、これじゃ、暗に自殺斡旋機関ともいえるなぁ、と。

 それプラス、きっとマニュアル通りの返答なんだろうけれど、この私に、“気分転換に、フラッとなじみの場所へ行ったりするのもいいでしょうね”等とのたまってくる。

 が、わたしゃ、すでにこの相談員に、基本は海外在住で、こうして定期的に実家に戻ってきていると伝えてある。だからこそ、私にとってのなじみの場所は、飛行機に乗って最低11時間は必要な場所の先にあるわけで、そこに簡単にいけないから、ここまでおかしくなっている・・・・、というのに、だ。

 私なりに、この時期はかなりキツかったが、それでもこの電話相談で逆に目が覚め、“おめーなんかにゃ、世話にならねーぜ、偽善者よっ!!!”と、ガス欠寸前になっていたメーターが、ぐんぐんと満タンとまではいかないが、中間地点ぐらいまでには復活した。

 そして、その日から、母が寝たあと、夜な夜な(午後10時〜午前2時ぐらいまで)、近所の24時間営業のファミレスに繰り出すようになっていった。そこで、自分の興味のある本や、今学ばなければいけない資料などをたくさん持ち込んで、ドリンクバーのコーヒーを腹の中が真っ黒になるまでお代わりし続けながら、それでもつかのまのマイワールドを築き、精神的に落ち着き始めたゼロでした。


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