ゼロの視点
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2004年09月24日(金) 鍋とぼったくり

 先日の火曜日の深夜、ブルターニュからパリの自宅に戻り、留守番電話をチェックすると、奇妙なメッセージが数件残されていたのを発見。

 どれも同じ、女性の声で日本人と推測される。おまけに、夫のフランス語での留守電メッセージを聞いて、“ゴニョゴニョ言ってて、全然わかんないわーーーっ”と捨て台詞まで入っている。

 が、自分が誰だとは名乗っていない。

 次の留守電では、“パリにいます”とだけのメッセージ。

 名のらない、捨て台詞、そして声の調子から、これが叔母F嬢(私の母の妹)だと即判断(笑)。そうかっ、フランスにいるのか、おぬしーーーーっ、という感じだった。

 5月から6月にかけて日本にいた時、確かに叔母F嬢は9月にフランスに行くかもしれないと聞いていたが、それ以降旅行についての連絡がなかったので、ちょっと忘れていた。

 そして、翌日、ようやく本人と連絡が取れたので、本日、オペラ座の前で待ち合わせすることになった。

 叔母F嬢のツアーは、9月18日土曜日にパリに到着してから、ノルマンディ、そしてブルターニュは、サン・マロ、モンサンミッシェル、ロワール川の古城巡り等をしたあと、昨晩からパリに戻ってきていたのだった。

 
 昼下がりにオペラ座の前に出向いた私。オペラ座前の階段にはたくさんの人が座っている。その顔を1人づつ遠くからチェックしながら歩いていると、視界に“派手な”日本人女性3人の姿が飛び込んできた。叔母F嬢と愉快な仲間たち発見っ。

 彼女らに近寄っていって、挨拶をしようとすると、彼女らは、怪しい日本人オヤジと話している。ひいっ、誰だ、この気持ち悪い男は?!?!?!。叔母たちがナンパでもしたのか?!?!、と思ったほど。

 で、私が到着すると、この気持ち悪い日本男児が、“また、ひとり、ひどく派手なのがきたねーーーっ”等といって、私に話し掛けてくるので、久々にカチンと来た私は、コイツを睨みつけたうえに、無視。

 そのうち、さすがに私から発せられる“あっちいけ光線”にあてられたのか、気持ちの悪い日本男児は立ち去っていった。

 ここに来るまでに、早朝からショッピングをしていたと推測される叔母F嬢とその仲間たちの腕には、有名店の紙袋がブラブラと下がっている。F嬢の友人の1人である、T嬢は、全身ブランド品で固めてあるのに、どうしてもチンドン屋のように見えてしまう悲喜劇に、心臓バクバク。

 が、気を取り直して、お買い物のフランス語ガイドとして、大和撫子3人を引き連れて、ギャラリー・ラファイエットへ。

 叔母F嬢は、以前からル・クルーゼの鍋と、ゲランドの塩が欲しかったらしく、私に何度もこのことを話していた。だから、彼女がこれらを、ここで購入しようとするのも、あらかじめわかっていたことだった。

 が、不思議なことに、ギャラリー・ラファイエットに到着する頃から、F嬢の友人2人も、口を開けば“鍋”と“塩”の二言しか発しないようになっいるので、頭クラクラ。

 叔母様3人衆の、“鍋塩攻撃”に背中を押されるようにして、家庭用品売り場へ直行。入口では、テレビの撮影などをしているが、大和撫子軍団は、そんなの気にもせず、相変わらず“鍋”と“塩”を連発している(笑)。

 ようやく、ル・クルーゼの売り場に到着。大和撫子軍団は、お目あての鍋を発見して、満面の笑み。色とりどり&形はよりどりみどり、の鍋を前にして、今度は、どれを購入するか?、で、またご検討。

 片手鍋は、鍋つかみを利用しなくても持てるからと思いきや、片手だけでは支えきれないのが、ル・クルーゼの鍋。

 また、F嬢曰く、慌てて台所を動いて、もし間違って長く延びた片手鍋の取ってに、腹が引っかかって、料理もろともひっくり返って火傷したら困る、という理由にて、F嬢が両手鍋に一足早く決定。

 すると、もうT嬢が、さっきまであれほどまでに片手鍋にこだわっていたのにもかかわらず、F嬢を真似するように、同じ商品を選ぶ。

 皆が同時に、それでいて勝手に私に通訳して欲しいことを話し掛けてくるので、それを整理して、店員に尋ねるだけでも、意外にエネルギーを消費する。そして、ある程度店員の話を聞き終わって、大和撫子軍団のほうを振り返ると、叔母F嬢とその友人T嬢が、オレンジの鍋を抱えて、立っている。

 オレンジ色のポロシャツの叔母F嬢と、レオナールの派手なTシャツ(もちろんオレンジ色も入っている)を着たT嬢の腕には、エルメスのオレンジ色の紙袋、そして、オレンジ色のル・クルーゼの鍋・・・・・。


 ああっ、オレンジ色の憎いヤツ・・・・・・、


と、頭の中で何度も唱えないではいられなくなる私。強烈なパワーというか、オーラというか、もう、形容もできないほどのオレンジ色攻撃に、精気を抜き取られそうになる私。

 

 お目当ての鍋をゲットして、きちんと免税手続きも終えたあとは、私と叔母F嬢で別行動。モノプリで、食品類のみやげ(塩も含む)を購入して、ようやく目的を終えたF嬢と一緒に、カフェに入り休憩。ビールが旨いっ。

 カフェでは、今後の私の母についてのことを、真面目に話し合う。

 これを想定して、今朝、母のヘルパー、ケアマネージャー、デイサービスセンターの関係者などにそれぞれ電話して、母の最新情報を得たあと、母本人にも電話して、ボケ具合のチェックをしておいた。

 また、近々日本へまた戻るので、それについての日程および、滞在期間などについても叔母F嬢と話し合う。

 ある程度話し終わった後、カフェに仕事帰りの夫がやってきて、私たちに合流、そのまま焼肉屋へ行き、久しぶりに美味しい食事にありついた。叔母F嬢、ごちそうさまっ。

 まだまだ、楽しみたいところだったが、F嬢が明日の早朝に日本へ戻ることもあり、デファンスの彼女のホテルまで、タクシーで同行。オペラ界隈から、彼女のホテルまで、14,30ユーロ。チップも含めて、15ユーロを渡して、タクシーを降りた私たち。

 F嬢のホテルまで付き添って、一息ついたところで、F嬢の大和撫子軍団の2人がホテルに戻ってきた。どうやら、彼女らもオペラ界隈で夕食を済ませた後、私たちと同じようにタクシーでここのホテルに戻ってきた模様。


 が、そのタクシーの値段は、法外だった・・・・、なんと、60ユーロっ!!!!!!。ひいぃーーーーーーーーーーーーーーーっ。


 彼女らの話をきくと、こうだった。

 タクシーでホテルに到着した時には、メーターには47ユーロと表記されていたそうだ。そこで、財布を出して金を払おうとしてみたが、あいにく20ユーロ紙幣しかないので、それを3枚、つまり60ユーロを支払って、運転手がお釣りを返してくれるのを待っていたらしい。

 ところが、運転手は、おつりなんて返さない。そこで、彼女らが文句を言うと、“金曜日だから、高いんだっ!!”と答えてくるタクシー運転手。

 それでも、“さっき60ユーロ渡したんだから、よく手元を見てみろっ”、とジェスチャーつきで、なんとかぼったくり運転手に食い下がっていった彼女達。

 するとどうだろう、運転手は、20ユーロ紙幣のかわりに、10ユーロ紙幣を彼女らに見せ、自分の正当性を主張。なんども、粘ってみたが、ここまで居直られてしまった今、どうしようもないと思い、とうとうあきらめてタクシーを後にした、とのことだった・・・・。

 それにしても、だ・・・。ホテルに到着した時点で47ユーロってのは、遠回りされたか、メーターをインチキされたかの二つの可能性しかない。なぜなら、私たちは14.30ユーロでしかなかったのだから。

 運転手としたら、47ユーロでも儲けものなのに、まだホイホイと60ユーロも何の疑いもなく出す日本人観光客を見て、“もっといける”と思ったのに違いない。

 恐らく、彼女たちがブランドのブティックの袋を何袋もかかえ、タクシーにのり、その行き先が、また高級ホテル。それプラス、いざ金を払うときには、財布から何枚も紙幣を出してから、それを数え、その後で支払うという、やり方・・・・。

 運転手としたら、“ほほうっ、こいつらは、本当に金持ってるなっ”と思ったに違いない。

 ま、そのくらい、非日本人はあまりキャッシュを持ち歩かないし、高級ブランドの紙袋なども“今買ってきましたーーーっ”という感じで持ち歩かない。また、金を払うときでも、財布の中身をご開帳することも少ない。

 逆に、日本人にとったら、そこまで運転手を疑うことなどに慣れてない。つり銭なども、ごまかされるとは、想像だにしてない。おまけに、財布の中に数万円入ってることも、しごく普通な国、それが日本だったりする。

 叔母F嬢の2人の友人らには、申し訳ない気分でいっぱいだが、こうやって、日本人観光客というのがボラている、という事実を非常に身近に感じた出来事だった・・・。


 また、母より6歳下の叔母F嬢が、非常に元気だったのは、何よりも嬉しい。と同時に、こんな感じで、自分の母が叔母と一緒にフランスに来られることを夢見ていたのに・・・・、と妙な寂しさが残った。

 叔母F嬢よ、ますます元気でいておくんなせえ。


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