ゼロの視点
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2004年08月18日(水) バカンス最終日

 11時がチェックアウトなのに、10時30分になっても、まだ荷造りしてない私たち・・・・・、相変わらずだ。

 どうせ、ここはフランス、ちょっとぐらい時間が過ぎたって平気、ってわけで、急いで支度する気が最初からない。で、もしホテルの従業員に文句言われても、2人で調子よく言いくるめてOKにしてもらえる“妙な自信”がある。

 11時半頃にようやく部屋を出て、ホテルのオーナーへ宿代を支払いながら、雑談。

 昔は廃墟になりかけてたボロい建物を購入して、改装工事を重ね、今のホテルにしたオーナーCは、元々はパリジェンヌ。演劇関係の仕事もしていて、フェスティバルなどがあるアヴィニョン、アルルなどに10年前から住んでいるとのこと。

 50歳前後と思われるCは、非常にキュートで、社交的。なので、ついついサロンで長話となる。

 で、ついつい好奇心で“パリと南の生活だと随分違うと思うけれど、すんなり適合できてますか?”と、夫と私のどちらともなくCに質問。

 実はこの質問、バカンス中ことある毎に、色々な人に投げかけ続けてきているお題。

 太陽の恩恵を浴びたい一身で、南仏へ移住にトライするたくさんのパリジャンたち。そして数年後、激しく絶望して再びパリに戻ってくるという話は、ごまんとある。実際に、知人・友人にも存在するくらいだから、かなりの割合なのだと思う。

 私の友人Sは、現在トゥーロン住まいだが、以前はバリバリのパリジャン。彼曰く、南仏での生活は“ボキャブラリーを100から50に削減させて、適当にスポーツの話などを周りの人にあわせてすることができれば、幸せに暮らしていける”と、こういった状況を皮肉って語ったほど。

 これらが本当かどうかは別として、“移民”として南仏にやってきた人の生の声が聞きたかったのだ。

 これにも増して、コルシカにおいては、ホテルの従業員はほとんど“移民”といっていい状況だった。どこ出身?、と尋ねると、リールだったり、ノルマンディだったり、色々。“コルシカ人と仲良くやっていける?”と尋ねると、多くの人が“コルシカ人は働かないから、同僚にはいないんだ”という答えまで返ってきて、激しく笑いを堪えたこともあった。

 さて、Cは相当アルルの生活にウンザリしているところ、という。気候もいいし、美しい町並みも彼女は大好きだという。が、閉鎖的なのだという。おまけに、いちいち皆に挨拶するのを忘れると、あとでホテルの評判を落とすようなことを言われるので、本当に気をつかう・・・・、と洩らしていた。

 少しでも画期的なイヴェントなどをやろうとすると、どこかから横槍が入ることはしょっちゅうだそうだ。そして、企画は中断。なので、あと数年でもしたら、どこかへ違う場所へ行こうと彼女は企んでいた。

 確かに、3週間弱、コルシカと南仏でブラブラしていると、さすがのわしらでも、一瞬くらいは、こっちに移住したらどうなんだろう?!?!?!、という気持ちが芽生える。が、一瞬。

 そういえば、パリ在住の友人Gは、ブルターニュ出身。彼の父はブルターニュ地方の警察のお偉方。そんな彼は、昔はじめてコルシカへ行った時、その美しい大地に恋をしてしまい、コルシカに別荘を建設することにした。

 コルシカといえば、山間の村が情緒があって最高とばかりに、彼はとある小さな村を選んだ。そして村といえば、噂が伝わるのも早いのは古今東西変わりはなく、警察のお偉方の父を持つ“よそ者”がやってきたことが知れ渡る。

 さて、コルシカは警察嫌いが多い。もし好かれている警官なら、違った意味でコルシカ人に好かれることをしている・・・、というわけだ。

 そして、友人Gの別荘は、彼の不在中にぶち壊された。誰がやったのかわからない、が、見事に粉々になったGの別荘。

 でも、こんなことでは負けない、頑固者ブルターニュ人G。テロだの事故だのに強い住宅保険がおりたので、またそれを使って同じ場所に別荘を再建。すると、また、半年後にGの別荘が粉々になる・・・・、というを今までに3回ほど繰り返している。

 この話を突然思い出し、しばしば私は笑いが止まらなくなってしまった。壊しつづける人間もすごいが、それにへこたれず別荘の再建に意地になるGの姿を思い浮かべると、彼には悪いが笑いが止まらないのだ。

 以上はコルシカの話であり、南仏ではないのでその違いを明らかにすると同時にしたとしても、郷に入ったら郷に従えというように、多少は現地のやり方にあわせてもいいんじゃないか?、とクビをひねりたくなる私がいたりする。

 で、またそれに合わせたくないのだとしたら、住まなきゃいいだけ。

 夫と2人で思わず、

1年目・コルシカを始めて旅行して感動する。

2年目・もう一度コルシカを訪れるものの、物価が高いので次回はキャンプにしようと決意。

3年目・キャンプをしてみたものの、不便。

4年目・レンタル別荘を使ってみるが、やっぱり高いので、同じ金使うならと、別荘建設を決意。

5年目・別荘がはれて完成。

6年目・別荘がぶち壊される。

 という“コルシカ・フルコース”を諳んじて大爆笑しながら、ローヌ川沿いの道からアルルの駅まで歩いていった。


 アルルから電車でマルセイユへ。ついついRERのような電車を、いつもの癖で想像していたが、乗ってみれば座席は8人がけのコンパートメント。ううーーん、旅だわっ。

 どこのコンパートメントも適度に人で埋まっていて、やっと2人分ぐらいの空席がありそうなところを発見。巨大な荷物を、すでに座っている乗客にゴンゴンとぶつけ、それと同時に謝りながら、席に落ち着くまでに3分。ふう、疲れた。

 コンパートメントには、わしらを含めて6人。気がついたら誰ともなくお喋りしはじめて、マルセイユに到着する頃には6人のおおよその人生を語り終わったあとだった(笑)。特に、リノ・バンチュラそっくりさんのオヤジは、なかなか強烈なキャラクターだった。

 そして、マルセイユ駅で、みなと握手して別れた後、バスにてマルセイユの空港へ。後は、イージージェットに乗って、パリに戻るのみ。早々とチェックインを済ませた私たちは、空港の外にあるベンチで赤ワイン飲みながら、眼前に広がるカランク越しのサンセットを眺める。

 沈みゆく太陽に、自分達のバカンスの終わりを見たような気がし、少し寂しくなるが、ま、しょうがない。



 その後、飛行機の出発が大幅に遅れ、パリの自宅に到着したのは午前1時すぎになってしまった・・・・・。


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