ゼロの視点
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2004年08月14日(土) ハプニング

 本日も相変わらず風が強い、Les Calanques de Sormiou。しかし、晴天。これがブルターニュだったら、風は強い、雨はジャンジャン振り、ってな感じなのだろうが。

 朝食後の一服を、甲板の上で楽しんでいた私。ふと、隣に停泊している小さなヨットの存在に気がつく。ドイツのケルンからのヨットらしい。何気なしにこのヨットをボーっと見ていると、中から50代くらいの夫婦が出てきて、出かける準備をしている。

 ボムボートを夫のほうが下ろしだし、それにモーターをつける作業を彼はもくもくとしている。そのモーターの大きさが、Eのソレとは違って、ひどく小さいので、“ま、2人だけなら、このくらい小さいモーターでもいいんだろうなぁ・・・”などと、思いつつ、ひたすらこの夫婦を観察。

 そして、準備も終わって、彼らは嬉しそうにモーターボートでビーチの方へ向かって旅立っていった。

 停泊中のヨットの上で、さしてやることもない私。観察してた人間も旅立ってしまった今、退屈になってきたので、自分の部屋に戻って本でも読むことにした。が、案の定、ベットに横になったら、熟睡していたようで・・・・(汗)。

 30分くらい熟睡してたのだろうか・・・・。ふと、まわりが突然騒々しくなったので、目が覚めると、なんと、隣のドイツ人のヨットの錨がはずれて流され始めたというではないかっと!!。

 おお、こりゃ事件だっ、ということで私も飛び起きて、急いで甲板に出る。さっきまで観察していたヨットだけあって、その時の彼らの位置と、現時点でのソレが明らかに違っているのがわかる。

 昨日は、わしらの船も一度同じ目に遭ったが、幸いなことに不在時でのことではなかったので、すぐに対処できた。

 が、彼らは30分前に、幸せそうにゴムボートで旅立ってしまった後。しかし、どんどん流され始めている彼らのヨット。



 さて、どうするか・・・・?!?!?!。

 

 まずEが、流され始めているヨットを発見したということを無線で連絡。が、応答なし。

 あと数秒で完全に錨が外れると、彼らのヨットはあっという間に沖合いに消えていく可能性があるので、彼らのヨットを救って、Eのヨットに繋ぎとめようということになった。

 Eのヨットの全長は15mなのに対して、ドイツ人のモノは7m弱。物理的につなぎ止めることは出来そうだ。

 すると、Eの彼女Mが、この案に激しく反対。人を助けて、自分も事故るということが多々ある中、そんなことを自分の彼にやって欲しくなかったらしい。

 一方、Eは、わしの夫と共に、人助けにすでに燃え始めているから、そう簡単には奴らを止められない。そして、そんなMの反対を押し切るように、Eとわしの夫は、ゴムボートで流され始めているドイツ人のヨットに接近していっ
た。

 ゴムボートのモーターを全開にしてないと、向かい風に対抗できないほどだったが、なんとか彼らは不在のドイツ人ヨットを、自分達のヨットにつなぎ止める作業に成功。

 自己満足な達成感もあり、Eとわが夫が満面の笑みで戻ってくる。そして、どんなことをしてやっと繋ぎとめたか等、の彼らのヒーローストーリーを甲板で聞かせてもらっているところに、例のドイツ人夫婦がゴムボートで戻ってきた。

 彼らは、自分達の船がどうなっているかはわからなかったものの、突然、2人組みの男性が乗ったゴムボートがソレに接近して、繋がれていくのをみて、一瞬、強盗にあったのか・・・・、と思っていたらしい。

 それを、バカ正直に話すドイツ人。また、それにバカ正直に反応するEの彼女Mは、怒りまくる。

 一方、海では、一度錨が完全にはずれて、流された船を発見したら、それを発見してゲットした人間のモノになる、というオキテがあるらしい。これを聞いて、ビックリした私だったら、もしそれが本当で、これを実行したら、ドイツ人の船は、Eと夫のもの。

 この辺をちょっと恩を着せるようにEが、ドイツ人に伝えると、一度彼らは自分達のヨットに戻って、きちんと係留し直してから、お礼にドイツから運んできたビールを持ってくるという。

 Eの彼女Mは、“けっ、たかがビールなんてっ”とまたまた怒っている。


 さて、わしらは、このドイツ人たちの繋留作業をパスティス飲みながら観察していた。そして、彼らは四苦八苦した後、なんとか無事にソレに成功。休む間もなく、ビール片手に彼らはゴムボートに乗り込み、私たちのヨットに向かって進み出した。

 すると、第二のハプニングが発生した。あとちょっとでわしらのヨット、という時点で、彼らのゴムボートのモーターがぶっ壊れたのだ。

 なんとか、モーターを作動させようと、紐をひっぱり直すドイツ人。何度も何度も同じことをやりながらもまったく作動しない彼らのモーター。そしてこんなことをやっているうちに、どんどんと波に流されて、私たちのヨットから離れ、豆粒のように小さくなっていく彼らの姿。

 哀れなドイツ人の姿を見て、ますます怒りを募らせていくM。とはいえ、ここまでみじめな航海者を見て、放っておけないと考えるEと我が夫は、再びゴムボートに乗り込んで、彼らを助けに行く。

 実際の援助作業をするのは、E。それにくっついていき、フランス語を全く話さないドイツ人らの通訳として活躍するのが、わが夫というわけだ。使命感と緊張感にみなぎったEの隣に、どこか楽しそうな夫の姿をみて、私は、怒り狂うMの横で、ひとり大爆笑。

 この夫の姿は、まるでインチキ・フランシスコ・ザビエルのように見えたからだ。


 ま、それはいいとして、2度も助けられたドイツ人を連れて、Eと夫がわしらのヨットに戻ってきた。

 戻ってくる気配を感じて、怒りの頂点に達していたMは、子供達を連れて船底に篭ってしまったので、私が彼らを歓迎した。

 ドイツ人夫婦が持ってきたビールは全然冷えてなかったので、“チェっ”と思いつつ、笑顔をキープ。それでいながら、船底にわざとビールを持っていき、Mにそれをみせて、“全然冷えてないよ”と伝え、Mの怒りをヒートアップさせてみる。

 で、また調子よく甲板に戻り、ドイツ人夫婦のインタビューに参加。まるで戦後直後に捕まったドイツ人を尋問するようで、おもしろい。

 しかも、Eはユダヤ人。ユダヤ人がドイツ人助けて、ドイツ人に占領されて迫害されてたフランス人が英語で通訳。おまけに、笑顔で戦中、ドイツと同盟組んでた日本人がそれに対応する不思議。

 船底に篭りきっているMに、甲板に来るように諭しても、彼女は決してやってこようとしない。

 また、ドイツ人のほうとしても、ここまでの失態をして、まずパニクっているのと、もしかしたらわしらに脅されるのではないか?、と妙に構えている。

 このように奇妙に緊迫している時は、わしら夫婦の出番。ギャグやってナンボなので、ドイツ人夫婦をリラックスさせて、話させる方向へ進めていく。そして、彼らがドイツでどんな生活をしているかを大体掴んだ。

 ドイツ人夫のほうは、なんと自動車製造業者のためのエンジニアー学校の先生だという。それを聞いた瞬間、みな言葉には出さなかったが、心の中で“ゴムボートのエンジンも修復できないのかよーーー”っと激しくつっこみ。

 そして、昨日から、マルセイユをスタート地点にして航海に出た彼ら。昨日の時点で、マストより前にある三角帆であるジエノアが破けてしまって、トラブル続きだということも知った。

 それを聞いて、Eが“ああ、わかった、昨日は13日の金曜日だからですよっ、きっと”と、慰めともなんともとれないようなコメントと入れる。でも、それを聞いて、ハッとしたドイツ人夫婦は、“ああ、そうだっ、きっとこれが理由だっ”と、元気になってきたので、妙に笑えた。

 
 ところでEの外見は、真っ黒に日焼けした全身に、カーリーヘア(天然)。遠くから見ると、アラブ人のようにも見える。実際には物凄く優秀な医者なのだが、何も知らない人間から見ると、怪しい人物そのものにも見える。

 恐らく、ドイツ人夫婦もEに対して、怪しい印象を捨てきれなかったのだと思う。なので、私が英語で彼らに“貴方達は本当にラッキーですよ。というのも、彼はヨット競技でも素晴らしい成績を上げているからこそ、瞬時に判断ができるわけであり・・・・云々”と、一応、Eの宣伝をしておいた。

 また、船底で怒り狂っているMに対しても、“Eの彼女であるMも、ヨット競技においては彼女もセミプロ。ゆえに、こういった油断から引き起こされる事故にはナーバスにならざるを得ないんですよ・・・”と説明。

 これを言った時点で、少しドイツ人夫婦の被害者意識が解けたようだった。とはいえ、ビール以外に、もっとわしらに礼をしようという感触は得られなかった。

 というのも、Mは、ここまでしたのだから、もっと礼をしても当然と言い張っていたので、それがどこまで通用するのか、我が身を持って交渉してみたかったのだが・・・・。

 小一時間ほど甲板でドイツ人夫婦を囲んで話をしたあと、彼らは自分達のヨットへ戻っていった。帰り際、彼らがフランス語をわからないことをいい理由に、ふとわしらの方を振り返ったEが、“強いといわれていたドイツ人が、どうして戦争に負けたかわかったような気がした”と発言。私は、もんどりうつほど大爆笑してしまった。

 ドイツ人夫婦が去った後、色々とわしらで議論が白熱。結局、わしら夫婦とEは、それでも人を救ったのだからそれで満足と言うのに対し、未だに面白くないM、という図式。

 救うことに対して、見返りを求めてもしょうがないよ・・・・、と諭したが、彼女はなかなか怒りを消化できない様子だった。

 10年中国に住んでいた夫もそうだが、私も異国に住んでみて、みかえりのない援助にどれほど感謝していることか・・・・。だからこそ、見ず知らずの人でも困っていたら、できる限りのことは援助したい・・・、という気持ちが自然に発生するようになっている今日昨今。

 それに対して、未だ母国を出て生活したことのないMには、ピンと来ない様子だった。それは、それで仕方ないのだが。



 あとになって、Eが、“今日の出来事を、ボクのおじいちゃんが知ったら・・・”と何度もうわごとのように言うので、それについて尋ねてみるた。すると、Eの祖父は、第二次世界大戦中にパリでゲシュタポに捕まって以来、戻ってこなかったということがわかった。

 それに対して、我が夫は“そんな歴史がありながら、それでもドイツ人を助けたってことは、かえってユダヤ人の誇りになるよっ”と答えていた。


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