ゼロの視点
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2004年08月02日(月)

 現在滞在しているCorteの町から、小1時間のところにあるCalacuccia近くに、夫の友人Nが住んでいるという。なので、せっかくここまで来ているのだし、現地人の生活を見学するいいチャンスなので、Nの家を訪れてみることにした。

 昼過ぎにNの家、正確には、Nの夫Dの別荘へ到着。N&D夫妻は、普段は同じコルシカでも、Bastiaという街に住んでおり、夏の間だけここにやってくるのだ。

 ジャン・レノに非常に良く似たDが、さっそくアペリティフを用意してくれる。せっかくなので、今回はパスティスを注文。

 普段はパスティスはあまり好きじゃなかったのだが、実際に太陽燦燦とした土地で、のんびりとパスティスに舌鼓をうつと、これが格別に美味しいのに気づいたからだ。この飲み物は、パリの薄暗いスチュディオなどで飲んでも、その醍醐味を味わえないのでは?、とまで思ってしまった。

 この後、N&D夫妻とその2歳になる娘とわしらで、近くの原住民しかしらない、とっておきの渓谷に案内してもらう。そこに流れる川の温度は、海のソレよりも冷たかったが、一度入ってしまうと、非常に気持ちがよい。

 軽く泳いだ後、皆でピクニック。

 食後は、みんな泳いだり昼寝したり、あるいはここに続々とやってくる原住民の間での井戸端会議に花が咲いていったり。

 さて、N&D夫妻は、一見うまくいっているようで、実はあまりうまくいってない。彼らは以前リヨンで暮らしていたのだが、5年前に夫の故郷であるコルシカに住処を移した。

 夫Dは、両親揃ってコルシカ人。妻Nは、母だけがコルシカ人。とはいえ、Nの父は世界中を股にかけて仕事をしていた国際人でもあった。ゆえに、だんだんとそこにズレが出てくる、というわけだ。

 例えば、この秘境に来るのに際して、わしらはN&D夫妻のクルマの後についてやってきたのだが、彼らのクルマがちょくちょく止まる。というのも、村にいる人にみな手を振ったり、挨拶したり、立ち話したりするから。

 まるでこの様子は、日本の選挙カーのあとについて走っているようなもの。そのくらい、友人・知人を無視して、自分の行きたいところだけに行くという行為はできない土地柄らしい。

 また、クルマを車道に止めたまま人と話す際、彼らは後続車のことは気にしない。自分たちが話したいだけ、そこで話し続ける。逆に、見ず知らずの人のことを気にして、昔からの知人・友人を軽視してその場から走り去ったら、あとで村八分になる可能性もあるという。

 だから、こういった特殊な社交はここで生きるには必須条件。

 さて、Nは非常に社交的な女性。しかし都会的な考え方ももっている女性でもあるゆえ、だんだんとこの村での生活が辛くなってきているとのこと。村があって始めて物事が存在するような世界から、どうやって徐々に距離を置いていくか?、と日々考察しているN。

 それに相反するかのように、どんどん村生活にはまり込んでいく夫D。彼にとっては、色々な意味で過ごしやすいこの生活、そんなに簡単に手放すわけがない。ゆえに、夫婦間で亀裂が生じていく。

 Nはあと少しで39歳。まだまだ若い。N自身“ちょっとした革命を起こさないとっ”と言っているが、それがいい意味でうまくいくことを応援してやまない。



 夜も、結局N&D宅で食事して、Dに薦められるまま調子よく酒飲んでた私は、かなり酔っ払いになってしまった。なので、帰路のクルマの中での記憶はほとんどなし、ひたすら熟睡。

 寝てしまえば、夫の運転の仕方などに心の中で葛藤することもなく、夫は夫で好きなように運転できるわけであり、一石二鳥だということに気づいた(笑)。


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